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高雄(4代)型 重巡洋艦

"Takao(4)" Class HeavyCruisers



愛宕
重巡洋艦「愛宕」

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
鳥海
第11号(2013.06.25)
重巡洋艦「鳥海」1940年
高雄
第36号(2014.06.10)
重巡洋艦「高雄」1944年
愛宕
第47号(2014.11.11)
重巡洋艦「愛宕」1942年

スペックデータ(竣工時)
排水量:(公)12,986t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油焚×12基 燃料搭載量:重油 2645t
全長:192.54m
全幅:19.00m 主機:艦本式オールギヤードタービン×8基、4軸推進
吃水:6.11m
出力:130,000hp
武装:
50口径20.3cm連装砲5基、45口径12cm単装高角砲4基、
40mm連装機銃2基、61cm魚雷連装発射管4基8門、
水偵3機搭載
最大速力:35.5kt
航続距離:14ktで7000浬
乗員定数:727名
スペックデータ(改装(昭和14年、「摩耶」は昭和19年)後:「鳥海」は未改装のため除く)
排水量:(公)14,838t
(「愛宕」は(公)15,152t)
(「摩耶」は(公)15,159t)
ボイラー:ロ号艦本式罐・重油焚×12基 燃料搭載量:重油 2318t
  (「摩耶」は重油 2406t)
全長:203.76m
全幅:20.73m
(「摩耶」は20.72m)
主機:艦本式オールギヤードタービン×8基、4軸推進
吃水:6.32m
(「摩耶」は6.44m)
出力:133,100hp
(「摩耶」は130,000hp)
武装:
50口径20.3cm連装砲5基、40口径12.7cm連装高角砲4基、25mm
連装機銃4基、13mm連装機銃2基、(「摩耶」は50口径20.3cm連装砲
4基、40口径12.7cm連装高角砲6基、25mm3連装機銃13基)、
61cm魚雷4連装発射管4基16門、水偵3機(「摩耶」は2機)搭載
最大速力:34.25kt
航続距離:18ktで5049浬
(「摩耶」は18ktで5000浬)
乗員定数:835名
(「摩耶」は1,071名)

同型艦名(4隻)
高雄(4代)"Takao(4)"愛宕(3代)"Atago(3)"
摩耶(2代)"Maya(2)"鳥海(2代)"Tyoukai(2)"[Tyôkai(2)]

高雄(4代)型重巡洋艦について
 先に建造された重巡洋艦「妙高」型の準同型艦として設計された「高雄」型であったが、各所に改良が加えられている。特に艦橋部分は「妙高」型の三倍の大きさに設計されたが、これは海軍側が旗艦設備を要求したからである。「妙高」型が戦隊旗艦程度の設備しかなかったのに比べ「高雄」型では艦隊旗艦として司令部の要員約百名を収容できるスペースを持っていた。
 また攻撃面では水雷兵装が改良され、発射管の数は減少したものの次発装填装置を装備したことにより戦闘中でも魚雷の装填が可能となり、実質的には「妙高」型を上回ることになっている。主砲も対空戦闘も可能(といっても仰角を大きくとれるだけだが)な新型砲塔が採用されている。
 太平洋戦争直前に「高雄」「愛宕」は対空兵装の増強改修が行われており、「摩耶」「鳥海」も引き続き改装が行われる予定であったが開戦の影響で工事は行われなかった(ただし「摩耶」は1943年に損傷箇所の修理の際に第三砲塔を撤去し、高角砲を増設する改装が行われている)。
 1944年10月のレイテ沖海戦で同型艦四隻のうち三隻(「愛宕」「摩耶」「鳥海」)が戦没したが、「高雄」は終戦まで生き残っている。

高雄(4代)型重巡洋艦の歴史
「高雄」(4代)「高雄」=京都近郊にそびえる高雄山から取った。標高429m。
古くから紅葉の名所として有名である。
1927年 4月28日横須賀工廠にて起工
1930年 5月12日進水
1932年 5月31日竣工
1937年 8月20日〜日華事変に参加。上海上陸作戦、華北作戦等に従事
1938年 5月〜改装工事に着手。対空・水雷兵装を増強
1941年12月 4日〜第二艦隊第四戦隊に所属し、太平洋戦争に参加。マレー、比島作戦等に参加
1942年 3月 2日ジャワ島沖にて米駆「ピルズベリ」を砲撃、撃沈(「愛宕」と共同)
      5月26日〜アリューシャン作戦に参加
      8月21日〜トラック進出。南太平洋海戦、第二次・第三次ソロモン海戦等に参加
1943年 2月〜ガダルカナル撤退を支援
     11月 5日ラバウルにて米軍機の攻撃を受け損傷
修理のため横須賀へ帰還(修理完了は翌年1月)
1944年 2月15日〜タウイタウイ進出。同年6月マリアナ沖海戦に参加
      7月 8日〜リンガ進出。同年10月比島沖海戦に参加
     10月23日パラワン水道にて米潜「ダーター」の雷撃を受け大破
味方駆逐艦に護衛され同月25日ブルネイへ帰還
     11月本土帰還に向けた応急修理のためシンガポールへ回航されるが同地残留が決定
1945年 1月11日シンガポール湾にて米爆撃機を対空砲撃
      7月31日シンガポール港内で英潜水艇「XE3」の破壊工作を受け浸水
      8月15日終戦。英軍に接収される
1946年10月29日マラッカ海峡にて海没処分
1947年 5月 3日除籍
「愛宕」(3代)「愛宕」=京都府保津川北方にそびえる愛宕山から取った。
山頂の愛宕神社は鎮火の神として全国に末社を持つ。
1927年 4月28日呉工廠にて起工
1930年 6月16日進水
1932年 3月30日竣工
1936年10月兵学校行幸のため昭和天皇が乗艦し江田島へ入港
1938年 4月〜改装工事に着手。対空・水雷兵装を増強
1941年12月 4日〜第二艦隊旗艦として太平洋戦争に参加。マレー、比島作戦等に参加
1942年 3月 2日ジャワ島沖にて米駆「ピルズベリ」を砲撃、撃沈(「高雄」と共同)
      5月29日〜ミッドウェイ攻略に参加
      8月11日〜トラック進出。南太平洋海戦、第二次・第三次ソロモン海戦等に参加
     11月 5日ラバウルにて米軍機の攻撃を受け損傷
修理のため日本本土へ帰還(修理完了は翌年1月)
1944年 1月 5日〜トラック進出。同年2月パラオ、4月リンガ、5月タウイタウイと移動
      6月マリアナ沖海戦に参加。同月末日本本土へ帰還
      7月10日〜リンガ進出。同年10月栗田艦隊旗艦として比島沖海戦に参加
     10月23日パラワン水道にて米潜「ダーター」の雷撃を受け沈没
     12月20日除籍
「摩耶」(2代)「摩耶」=神戸市街の北にある摩耶山から取った名称
標高699m。六甲山に連なるハイキングコースがある
1928年12月 4日川崎神戸造船所にて起工
1930年11月 8日進水
1932年 6月30日竣工
1937年 8月20日〜日華事変に参加。上海上陸作戦、華北作戦等に従事
1941年12月 7日〜南方部隊に所属し、太平洋戦争に参加。比島、蘭印作戦等に参加
1942年 5月26日〜アリューシャン作戦に参加
      8月11日〜トラック進出。南太平洋海戦、第二次ソロモン海戦等に参加
     11月13日ヘンダーソン飛行場砲撃に参加。翌14日に米軍機の体当たりを受け損傷
1943年 3月23日〜アリューシャン方面へ進出。北方作戦に従事
      9月15日〜トラック進出。同年11月ラバウルへ移動
     11月 5日ラバウル沖で敵機の攻撃を受け被爆、中破。後に修理のため本土へ回航される
     12月21日〜損傷の修理及び改修工事に着手。対空・水雷兵装を増強
1944年 4月21日〜リンガ経由でタウイタウイ進出
      6月20日マリアナ沖海戦に参加。至近弾により損傷を負う
      7月10日〜リンガ進出。同年10月比島沖海戦に参加
     10月23日パラワン水道にて米潜水艦「デイス」の雷撃を受け沈没
     12月20日除籍
「鳥海」(2代)「鳥海」=秋田と山形の県境にそびえる鳥海山から取った名称
標高2237m。出羽富士ともよばれ古くから信仰の対象となっている
1928年 3月26日三菱重工にて起工
1931年 4月 5日進水
1932年 6月30日竣工
1937年 9月 6日〜日華事変に参加。華北作戦等に従事
1941年12月 4日〜南遣艦隊旗艦として、太平洋戦争に参加。マレー、蘭印作戦等に参加
1942年 4月インド洋での通商破壊作戦に従事
      5月29日〜ミッドウェイ海戦に参加
      7月19日〜ラバウル進出。第八艦隊旗艦としてソロモン攻略、第一次ソロモン海戦等に参加
     11月第三次ソロモン海戦に参加。至近弾により損傷
1943年 9月15日〜タウイタウイ進出。第二艦隊に所属しマリアナ沖海戦に参加
1944年 7月10日〜リンガ進出。同年10月比島沖海戦に参加
     10月25日レイテ沖にて米軍機の攻撃を受け大破(サマール沖海戦)。駆逐艦「藤波」
雷撃により自沈処分(乗員生存者は「藤波」に移乗したが、二日後「藤波」も
戦没したため最終的に「鳥海」乗員の生存者は無かった)
     12月20日除籍


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