須磨(初代)型 巡洋艦

"Suma(1)" Class Cruisers


須磨
「須磨」(1905年:Photo from Wikimedia Commons)
明石
「明石」(1895年:Photo from Wikimedia Commons)
スペックデータ(「須磨」)
排水量:(常)2,657t ボイラー:円罐・石炭専焼×8基 燃料搭載量:石炭 554t
全長:93.50m
全幅:12.25m 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:4.63m
出力:8,500hp
武装:
40口径15cm単装砲2基、40口径12cm単装砲6基、
47mm単装砲12基、45cm魚雷発射管2門
最大速力:20.0kt
航続距離:10ktで11000浬
乗員定数:256名
スペックデータ(「明石」)
排水量:(常)2,755t ボイラー:円罐・石炭専焼×9基 燃料搭載量:石炭 590t
全長:90.00m
全幅:12.74m 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:4.83m
出力:8,000hp
武装:
40口径15cm単装砲2基、40口径12cm単装砲6基、
47mm単装砲12基、45cm魚雷発射管2門
最大速力:19.0kt
航続距離:10ktで11000浬
乗員定数:256名

同型艦名(2隻)
須磨(初代)"Suma(1)"明石(初代)"Akasi(1)"

巡洋艦 須磨(初代)について
 日清戦争直前に日本海軍は海軍力増強を目指し巡洋艦「須磨」の建造を開始、更なる増強のため「須磨」の姉妹艦などを含む12万トン保有計画案が樺山海相から議会へ提出されたが、陸海軍の不統一や海軍内部の宿弊を理由に議会で否決されてしまった。この後に議会内紛で松方内閣は解散し、第二次伊藤内閣(元勲内閣)が組閣され同内閣の仁礼海相も軍艦建造予算の要望案を議会に提出したが、これも経費節減を理由に削減されてしまい、政府議会内での建艦案を巡る泥仕合は議会から明治天皇へ内閣弾劾の上奏文が提出される事態にまで至ってしまった。
 この事態を憂慮された明治天皇が宮廷費を一部下付する旨の勅書(明治26年2月10日付け「在廷ノ臣僚及帝国議会ノ各員へ詔勅」)を出し、これを建造費に充てることで戦艦「富士」などとともに「須磨」の姉妹艦「明石」の建造も決定されたのである。
 「須磨」と「明石」は上記のような経緯から起工時期がずれているために艦型が若干異なるものの、両艦とも国産初の巡洋艦「秋津洲」の設計を小型化改良したものとなっている。
 両艦とも日清戦争には間に合わなかったものの、日露戦争以降の戦争では活躍しており、第一次大戦ではドイツ潜水艦に悩まされるイギリスの要望をうける形で編成された特務艦隊に所属し、「須磨」は第一特務艦隊旗艦としてインド洋方面へ、「明石」は第二特務艦隊旗艦として地中海方面へ派遣された。

巡洋艦 須磨(初代)級の歴史
「須磨」(初代)「須磨」=現在の神戸市須磨区の瀬戸内海に面する海岸部一体の呼称
風光明媚の地であるが要衝の地でもあり昔は数々の戦場となった
1892年 8月 6日横須賀造船部にて起工
1895年 3月 9日進水
1896年12月 2日竣工
1898年 3月21日三等巡洋艦に類別
1899年 2月米比戦争勃発。法人保護のためマニラへ派遣(同年4月まで)
1900年 6月義和団の乱(北清事変)勃発。警備のため大沽(タークー)へ派遣
1904年第三艦隊第六戦隊に所属し、日露戦争に参加
      2月〜旅順口閉塞に参加
      8月10日黄海海戦に参加
1905年 2月27日日本海海戦に参加
      7月樺太作戦に参加
1912年 8月28日二等巡洋艦に類別
1914年第一次世界大戦に参加
1917年 2月〜第一特務艦隊旗艦としてインド洋・紅海方面へ進出
1921年 9月 1日二等海防艦に類別
1923年 4月 1日除籍。佐世保防備隊で使用される
1928年廃船となる
「明石」(初代)「明石」=兵庫県明石市にある瀬戸内海に面する海岸部の呼称
須磨と並び称される景勝地である
1894年 8月 6日横須賀造船部にて起工
1897年11月 8日進水
1899年 3月30日竣工
1900年 8月義和団の乱により、警備のため大沽、芝罘(チーフー)へ派遣(同年11月まで)
1904年第二艦隊第四戦隊に所属し、日露戦争に参加
      2月 9日仁川沖海戦に参加
      2月〜旅順口閉塞に参加
     12月10日旅順近海にて触雷、損傷を負う(翌年1月修理完了)
1905年 2月27日日本海海戦に参加
1912年 8月28日二等巡洋艦に類別
1914年第一次世界大戦に参加
1917年 2月〜第二特務艦隊旗艦として地中海へ派遣され船団護衛に従事
(旗艦任務は後に増派された「出雲」へ引き継いだ)
1920年 5月尼港事件勃発のため、沿海州警備任務に従事
1921年 9月 1日二等海防艦に類別
1928年 4月 1日除籍
      7月 6日「廃艦第2号」と改称
1930年 8月 3日東京湾外にて航空機の雷爆標的艦として使用され沈没


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