防護巡洋艦 宗谷(初代)

ProtectedCruiser "Souya(1)"
("Варяг"[Varyag])



宗谷
防護(二等)巡洋艦「宗谷」(1910年代)
スペックデータ(日本海軍編入時)
排水量:(常)6,500t ボイラー:宮原罐・石炭専焼×30基 燃料搭載量:石炭 1,250t
全長:(水)126.80m
全幅:15.85m 主機:直立型往復動蒸気機関(4気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:6.10m
出力:20,000hp
武装:
45口径15.2cm単装砲12基、40口径8cm単装砲10基、
47mm単装砲2基、45cm魚雷発射管4門
最大速力:23.0kt
航続距離:10ktで4,500浬
乗員定数:570名

同型艦名(1隻)
宗谷(初代)"Souya(1)"[Sôya(1)]

防護巡洋艦 宗谷について
 元々はロシア海軍太平洋艦隊所属の防護巡洋艦「ワリヤーグ」(Varyag)で、仁川を攻めた日本艦隊と海戦を行い大破、後に自沈した。この自沈した船体を引き揚げ修理した後、戦利艦として日本海軍に編入となった。日本海軍では、同じくロシアからの戦利艦であった「阿蘇」と練習艦隊を編成し、少尉候補生の遠洋航海に従事しており、太平洋戦争時に第一線で活躍した提督達の中には候補生時代、本艦で遠洋航海を行った者も多かった。
 日露戦争終戦後10年ほどして第一次世界大戦が勃発し、今度は味方となったロシアに返還されているが、帰還後イギリスで修理中だった当艦は、ロシア革命により政権を奪取したソビエト政府が修理費の支払いを拒否したため、イギリスに差し押さえられている。
 ちなみに「宗谷」の名を冠した日本海軍の艦艇は二代あり、二代目「宗谷」は昭和15年に購入され太平洋戦争終結まで生き残った雑用艦(測量艦)で、この二代目は昭和30年代に南極観測船として使用されたことでも有名である。

防護巡洋艦 宗谷の歴史
「宗谷」(初代)「宗谷」=北海道最北端の宗谷岬と樺太の間にある宗谷海峡
から取った名称。またアイヌ語で「岩のある町」を意味する
1899年10月米ウィリアム・クランプ社にてロシア艦「ワリヤーグ」として起工
1900年 1月 2日進水
1901年 1月14日竣工。旅順へ回航され、同年9月ロシア太平洋艦隊に配属
1904年日露戦争勃発。仁川へ駐留
      2月 9日日本艦隊の降伏勧告を無視し戦闘(仁川沖海戦)、大破後に自沈
1905年 8月22日引き揚げ。日本海軍へ編入の後修理される。(1907年修理完了)
1909年〜練習艦隊に所属し、少尉候補生の遠洋航海に従事(1913年まで)
1916年 4月 4日除籍。ロシアへ売却という形で返還される
      4月 5日ウラジオストクにてロシア太平洋艦隊に編入。艦名を「ワリヤーグ」に戻す
     11月コラ半島へ移動。北氷洋小艦隊旗艦としてムルマンスクを拠点とする
1917年 2月オーバーホールのため英リバプールへ移動。キャンメル・レイアード社で修理開始
     11月ロシア革命勃発
当艦乗員が赤軍に帰順しなかったためソビエト新政府は修理費の支払いを拒否
     12月 8日英軍により接収
1918年 2月英海軍へ編入。アイルランドにて繋留船として使用される
1920年スクラップとしてドイツに売却されるが、曳航中にクライド湾で座礁
1923年解体処分


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写真はロシアのVseslav氏から提供を受けました。