川内型 軽巡洋艦

"Sendai" Class LightCruisers


神通
「神通」(1939年頃)
那珂
「那珂」(1925年:Photo from Wikimedia Commons)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
川内
第59号(2015.04.28)
軽巡洋艦「川内」1933年

スペックデータ
排水量:(公)5,595t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×8基
   ロ号艦本式罐・石炭重油混焼×4基
燃料搭載量:石炭  580t
        重油 1050t
全長:152.4m
全幅:14.17m 主機:三菱・パーソンス式オールギヤードタービン×4基、4軸推進
(「神通」は川崎・ブラウン式オールギヤードタービン×4基、4軸推進)
吃水:4.91m
出力:90,000hp
武装:
50口径14cm単装砲7基、40口径7.6cm単装高角砲2基、
61cm魚雷連装発射管4基8門、
艦偵1機搭載(後に射出機を装備して水偵1機に変更)
最大速力:35.25kt
航続距離:14ktで5000浬
乗員定数:452名

同型艦名(3隻)
川内"Sendai"神通"Zintuu"[Zintû]那珂"Naka"

川内型 軽巡洋艦について
 八八艦隊計画で八隻の建造が予定されていた5,500トン型軽巡洋艦であったが、ワシントン軍縮条約が締結され計画自体が中止されたため、5,500トン型軽巡も五隻がキャンセルされてしまった。この「川内」型はキャンセルされなかった5,500トン型軽巡三隻として建造されたものである。
 先に建造された「長良」型の改良型として建造されたが、機関を石炭使用にも適応するよう改良したため、煙突の数が増え日本海軍では珍しい四本煙突の艦となっている。これは、八八艦隊計画策定時に「艦数が増えると重油の消費量が膨大になるため、主力艦以外の艦は国内でも調達できる石炭をメインに使用する」との考え方があったからである。そこで「長良」型では重油専用ボイラー10基・重油石炭混焼ボイラー2基だったものを当型では重油専用8基・混焼4基に変更している。
 なお「川内」型三番艦の「那珂」は建造中に関東大震災に遭い船台上で大破したため、一度解体されてから新たに建造し直されている。また四番艦も起工されていたものの、ワシントン軍縮条約締結により起工直後に建造中止となっている。この四番艦に予定されていた艦名は「古鷹」型重巡の二番艦に引き継がれた。
 竣工当初は艦橋前部に偵察機発艦用の滑走台が装備されていたが、1930年代になって火薬式カタパルト(呉式二号三型改一射出機)が搭載されると、滑走台は対空機銃の銃座に使用されるようになったが、その後撤去されている。

川内型 軽巡洋艦の歴史
「川内」「川内」=宮崎県に源を発し鹿児島県を流れる川内川から取った名称
1922年 2月16日三菱長崎造船所にて起工
1923年10月30日進水
1924年 4月29日竣工
1920年代後半揚子江での哨戒任務などに従事
1933年水偵射出機が搭載される
      6月〜近代化改修を実施(完了は翌年1月)
1937年 8月第二次上海事変勃発。中国軍との交戦を実施
1938年 7月22日〜第一艦隊に所属し、日華事変に参加。中国沿岸部で作戦に従事
1941年11月20日〜海南島に進出。南方部隊に所属し太平洋戦争に参加
1942年 5月29日〜ミッドウェイ作戦に参加
      7月18日〜インド洋交通破壊作戦に従事。ガ島砲撃・第三次ソロモン海戦等に参加
1943年11月 2日第三水雷戦隊に所属し、ブーゲンビル島沖海戦に参加。米艦の攻撃を受け沈没
1944年 1月 5日除籍
「神通」「神通」=飛騨山脈に源を発し富山県内を流れる神通川から取った名称
流長126km。正しくは「じんずう」と読むが艦名は「じんつう」である
1922年 8月 4日神戸川崎造船所にて起工
1923年12月 8日進水
1925年 7月31日竣工
1927年 8月24日演習中に駆逐艦「蕨」と衝突事故を起こし小破。「蕨」は沈没(美保関事件)
1931年試作型射出機が搭載され、水偵の射出実験を実施
1933年〜近代化改修を実施(完了は翌年)
1938年 8月11日〜第二艦隊に所属し、日華事変に参加。中国沿岸部で作戦に従事
1941年11月26日〜海南島に進出。南方部隊に所属し太平洋戦争に参加
1942年 5月21日〜ミッドウェイ作戦に参加
      8月21日〜トラックへ進出
1943年 7月12日第二水雷戦隊に所属し、コロンバンガラ沖夜戦に参加。被弾沈没
      9月10日除籍
「那珂」「那珂」=関東平野北部を流れる那珂川から取った名称
流長125km。鉄道発達以前は交通路としても利用された
1922年 6月10日横浜船渠にて起工
1923年 9月 1日関東大震災のため被災。船体が焼けたため解体される
1924年 5月24日船体を解体の上、横浜船渠にて再起工
1925年 3月24日進水
     11月30日竣工
1927年 8月24日演習中に駆逐艦「葦」と衝突事故を起こし小破。「葦」は大破(美保関事件)
1938年12月 7日〜第二艦隊に所属し、日華事変に参加。中国沿岸部で作戦に従事
1941年12月 7日〜南方部隊に所属し、太平洋戦争に参加。蘭印作戦・スラバヤ沖海戦等に参加
1942年 4月 1日クリスマス島沖で米潜「シーウルフ」の雷撃を受け大破
      6月15日〜舞鶴工廠にて修理・近代化改修を行う。1943年4月終了
1943年 4月25日〜第四艦隊に所属し、トラックへ進出。輸送任務に従事
1944年 2月17日トラック大空襲の際に被爆。沈没
      3月31日除籍


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