防護巡洋艦 音羽

ProtectedCruiser "Otowa"


音羽
防護巡洋艦「音羽」(1905年頃)
スペックデータ
排水量:(常)3,000t ボイラー:イ号艦本式罐・石炭専焼×10基 燃料搭載量:石炭 600t
全長:97.99m
全幅:12.62m 主機:直立型往復動蒸気機関(4気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:4.80m
出力:10,000hp
武装:
40口径15.2cm単装砲2基、40口径12cm単装砲6基、
40口径7.6cm単装砲4基
最大速力:21.0kt
航続距離:不明
乗員定数:280名

同型艦名(1隻)
音羽"Otowa"

防護巡洋艦 音羽について
 防護巡洋艦「新高」型と同時期に建造された艦だが、予算の都合上ひとまわり小型な設計となっている。日露戦争開戦後に竣工し直ちに連合艦隊に編入され活躍した。
 ロシアとの戦争が近づいていたこともあって起工から竣工まで1年8ヶ月という短期間で工事を行っており、日本の造船技術が世界レベルに追いついたことを示した。「新高」型と同様に、被弾による火災防止のため魚雷発射管を廃止しており、雷装を重視した日本海軍の巡洋艦としては珍しい艦である。
 竣工直前に日露戦争が開戦したため竣工してすぐに戦線へ投入され、対馬海峡警備などに従事した。その後の第一次大戦で南シナ海方面の警備任務に従事したが、大正6年にシンガポールから佐世保へ帰還する途中、大王崎(三重県)付近で座礁沈没してしまった。
 余談ではあるが、日本海軍では事故で没した艦の名称を新造艦に引き継ぐことをしなかった(例外もある)ため、座礁沈没した本艦の名称も新造艦に引き継がれることは無かった。

防護巡洋艦 音羽の歴史
「音羽」「音羽」=京都東山三十六峰の一つ音羽山から取った(と思われる)名称
紅葉の名所として知られ、音羽の滝があることでも有名
1903年 1月 3日(1月6日説あり)横須賀工廠にて起工
     11月 2日進水
1904年 9月 6日竣工
 日露戦争に参加。対馬海峡警備などに従事
1905年 5月27日第一艦隊第三戦隊に所属し、日本海海戦に参加
1912年 8月28日二等巡洋艦に類別
1914年11月第一次大戦に参加。青島攻略を支援。南シナ海方面の警備に従事
1917年 7月25日三重県大王崎沖で座礁。8月1日に船体が折れ沈没
     12月 1日除籍。翌年沈没状態のまま売却


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