新高型 防護巡洋艦

"Niitaka" Class ProtectedCruisers


新高
二等(防護)巡洋艦「新高」(1918年頃:Photo from Wikimedia Commons)
対馬
防護巡洋艦「対馬」(1905年頃:Photo from Wikimedia Commons)
スペックデータ
排水量:(常)3,366t
(「対馬」は(常)3,360t)
ボイラー:ニクローズ罐・石炭専焼×16基 燃料搭載量:石炭 633t
     (「対馬」は590t)
全長:102.03m
全幅:13.44m 主機:直立型往復動蒸気機関(4気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:4.93m
出力:9,400hp
武装:
40口径15.2cm単装砲6基、40口径7.6cm単装砲10基、
47mm単装砲4基
最大速力:20.0kt
航続距離:不明
乗員定数:287名

同型艦名(2隻)
新高"Niitaka"[Nîtaka]対馬(初代)"Tusima(1)"

新高型防護巡洋艦について
 小型艦艇の国内建造を定着させるため、日本海軍が国内で初めて建造した防護巡洋艦がこの「新高」型である。二番艦「対馬」を建造することになった呉工廠では初めての大型戦列艦であったが、ロシアとの対立が深まっている時期であったため突貫工事で建造は進められた。
 この「新高」型はこれまでの防護巡洋艦と異なり、艦隊戦に使用するのではなく偵察任務を主眼として設計されているため、攻撃力も速力も秀でたものではないが堅牢で使いやすい艦となっており、万が一の際に誘爆する恐れのある魚雷発射管を廃止しているのが特徴である。この「新高」型以降日本海軍の巡洋艦はすべて国産化されることになった。
 両艦とも竣工直後に勃発した日露戦争をはじめとして、第一次大戦やシベリア出兵にも参加しているが、「新高」は大正11年に台風のため擱座転覆してしまい廃艦となっている。「対馬」はシベリア出兵後に海防艦となり、中国沿岸部の警備任務を10年ほど続けた後、余生を練習艦として過ごした。

新高型防護巡洋艦の歴史
「新高」「新高」=台湾島の最高峰である玉山の日本名である
標高3950mで終戦までは日本の最高峰でもあった
1901年 1月 7日横須賀工廠にて起工
1902年 11月15日進水
1904年 1月27日竣工
      2月〜第二艦隊に所属し、日露戦争に参加
      2月 9日仁川沖海戦に参加
      4月〜旅順攻略を支援
1905年 5月27日日本海海戦に参加
1912年 8月28日二等巡洋艦に類別
1914年 9月 4日〜第一艦隊に所属し、第一次世界大戦に参加。青島攻略作戦に従事
1915年12月28日〜インド洋警備に従事。1917年からは第一特務艦隊に所属
1920年 7月〜シベリア出兵に伴い、ペトロハブロスク方面の警備任務に従事
1921年 9月 1日二等海防艦に類別
1922年 8月26日カムチャッツカ警備中に台風に遭遇、海岸へ擱座転覆
1923年 4月 1日除籍。その後解体処分
「対馬」(初代)「対馬」=古い国名。現在の長崎県対馬地方を指す。古来より
朝鮮半島との航路の要衝として重要な役割を果たしてきた
1901年10月10日呉工廠にて起工
1902年12月15日進水
1904年 2月14日竣工
      2月17日〜第二艦隊に所属し、日露戦争に参加
      8月10日黄海海戦に参加
      8月20日露巡洋艦「ノーウィック」とサハリン沖で砲撃戦(宗谷沖海戦)。これを大破着底させる
(後に「ノーウィック」は浮揚修理され通報艦「鈴谷」となる)
1905年 5月27日日本海海戦に参加
1912年 8月28日二等巡洋艦に類別
1914年12月 9日〜第一艦隊に所属し、第一次世界大戦に参加。インド洋警備に従事
1917年 2月15日〜第一特務艦隊分遣隊に所属し、喜望峰警備に従事
1919年 8月14日〜第三水雷戦隊に所属し、シベリア出兵に参加
1921年 9月 1日二等海防艦に類別
1922年〜中国沿岸部の警備任務に従事
1935年横須賀海兵団の練習艦に指定、繋留され訓練任務に従事
1939年 4月 1日除籍。雑役船(練習船)に類別
1940年 4月 1日廃艦第10号と改称。繋留練習船として使用される
1944年三浦半島大津海岸にて魚雷訓練の標的艦として使用され沈没


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