浪速型 防護巡洋艦

"Naniwa" Class ProtectedCruisers


高千穂
巡洋艦「高千穂」(1897年)
スペックデータ
排水量:(常)3,709t ボイラー:円罐・石炭専焼×6基 燃料搭載量:石炭 800t
全長:91.44m
全幅:14.07m 主機:横置式往復動蒸気機関(2気筒2段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:5.67m
出力:7,604hp
武装:
35口径26cm単装砲2基(後に45口径15.2cm単装速射砲2基に換装)、
35口径15cm単装砲6基(後に40口径15.2cm単装速射砲6基に換装)、
4.7cm単装砲6基、25mm4連装砲10基、11mm10連装ガトリング砲4基、
35.6cm魚雷発射管4門
最大速力:18.0kt
航続距離:13ktで9000浬
乗員定数:357名

同型艦名(2隻)
浪速"Naniwa"高千穂"Takatiho"

浪速型防護巡洋艦について
 清国を仮想敵国とした日本海軍は近代化を目指して高性能巡洋艦を揃えることとなり、その第一弾としてイギリスに発注したのがこの「浪速」型である。それまでの巡洋艦とは異なり最初から蒸気機関のみで航走するように建造された日本海軍初の近代巡洋艦であった。
 防護巡洋艦とは装甲板を張って直接敵弾を防ぐのではなく、水面上の中甲板に装甲を施し艦内に飛び込んだ砲弾の威力を減じ損害を押さえる形で防御力を保つ間接防御のシステムを取り入れた巡洋艦のことであり、近代巡洋艦の黎明期には多くみられたものである。
 就役時には主砲を26センチ砲としていたが、日清戦争での速射砲による射撃弾量の多さが海戦の決定的要素となるという戦訓を元に、日清戦争後は主砲および副砲を15センチ速射砲に換装された。
 こうした最新式の防護巡洋艦は建造国のイギリス海軍でもまだ保有してなかったが、これは当時のイギリスは新しい技術を外国からの発注艦でまず試してみるという方針をとっていたからである。
 「浪速」は1894年の豊島沖海戦の際に、英国籍の汽船「高陞号[Kowshing]」と遭遇、臨検の結果、清国兵士を輸送しているのを発見した。「浪速」艦長であった東郷平八郎は国際法に則った手順を踏み、降伏勧告の後にこれを撃沈した(高陞号事件)。この事件は「高陞号」が英国籍船であったため、同盟国である英国の反日感情が高まることとなったが、著名な英国人国際法学者が英タイムズ紙に「浪速」艦長の行為は国際法的に見てなんら違法では無い旨の記事を寄稿したため、英世論は沈静化した。
 また「高千穂」は第一次大戦の青島攻略で、独水雷艇の雷撃を受けた。この被雷により搭載していた機雷が誘爆し「高千穂」は沈没したため、「高千穂」は日本海軍で敵との交戦により沈没した最初の軍艦とされている。

浪速型防護巡洋艦の歴史
「浪速」「浪速」=地名による名称。大阪から尼崎付近にかけての地方を指す。
1884年 3月22日イギリスのアームストロング社で起工
1885年 3月18日進水
1886年 2月15日竣工後、日本へ回航。同年6月品川へ到着
1893年 3月ハワイで革命が起こり、邦人保護のためホノルルに派遣
1894年常備艦隊に所属して日進戦争に参加
      7月25日豊島沖海戦に参加。清国兵を輸送していた英汽船「高陞号」を撃沈
      9月17日黄海海戦に参加
1897年 4月〜ハワイ移民上陸拒否事件のためホノルルへ派遣(同年9月まで)
1898年 3月21日二等巡洋艦に類別
      5月〜米西戦争勃発。法人保護のためマニラへ派遣(同年8月まで)
1900年義和団の乱(北清事変)勃発。警備のため清国沿岸へ派遣(翌年まで)
1904年第二艦隊に所属して日露戦争に参加
      2月 9日仁川沖海戦に参加
      8月14日蔚山沖海戦に参加
1905年 5月27日日本海海戦に参加。砲戦により損傷を負う
1912年 7月18日千島列島にて座礁沈没
      8月 5日除籍。残骸は翌年売却・解体
「高千穂」「高千穂」=宮崎県と鹿児島県の境にそびえる霧島火山の一峰である
高千穂峰から取った。標高1574m。天孫降臨伝説の地である。
1884年 3月22日イギリスのアームストロング社で起工
1885年 5月16日進水
1886年 4月30日竣工後、日本へ回航。同年7月品川へ到着
1893年 6月ハワイ革命により、邦人保護のためホノルルに派遣
1894年常備艦隊に所属して日進戦争に参加
      9月17日黄海海戦に参加
1895年威海衛攻略などに参加
1898年 3月21日二等巡洋艦に類別
1900年 8月義和団の乱(北清事変)勃発。警備のためアモイへ派遣(10月まで)
1904年第二艦隊に所属して日露戦争に参加
      2月 9日仁川沖海戦に参加
      8月14日蔚山沖海戦に参加
1905年 5月27日日本海海戦に参加
1911年敷設艦に改装される
1912年 8月28日二等海防艦に類別
1914年 8月13日第二艦隊に所属して第一次世界大戦に参加。青島攻略を支援
     10月17日膠州湾口にてドイツ水雷艇の攻撃を受け、搭載機雷の誘爆により沈没
     10月29日除籍


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