長良型 軽巡洋艦

"Nagara" Class LightCruisers


由良
軽巡洋艦「由良」(1930年代後半)
鬼怒
軽巡洋艦「鬼怒」(1931年:Photo from Wikimedia Commons)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
長良
第33号(2014.04.29)
軽巡洋艦「長良」1936年

スペックデータ(竣工時)
排水量:(公)5,570t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×10基
   ロ号艦本式罐・石炭重油混焼×2基
燃料搭載量:石炭  350t
         重油 1260t
全長:152.4m
全幅:14.17m 主機:技本・三菱・パーソンス式オールギヤードタービン×4基、4軸推進
(「鬼怒」は川崎・ブラウン式オールギヤードタービン×4基、4軸推進)
吃水:4.80m
出力:90,000hp
武装:
50口径14cm単装砲7基、40口径7.6cm単装高角砲2基
61cm魚雷連装発射管4基8門、艦偵1機搭載(滑走台1基)
最大速力:36.0kt
航続距離:14ktで5000浬
乗員定数:450名
スペックデータ(改装(昭和7〜9年)後)
排水量:(公)6,260t
(「鬼怒」「阿武隈」は6,460t)
ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×10基
   ロ号艦本式罐・石炭重油混焼×2基
燃料搭載量:不明
全長:152.4m
全幅:14.17m 主機:技本・三菱・パーソンス式オールギヤードタービン×4基、4軸推進
(「鬼怒」は川崎・ブラウン式オールギヤードタービン×4基、4軸推進)
吃水:4.80m
出力:90,000hp
武装:
50口径14cm単装砲7基(艦によっては後に一部撤去)、13mm4連装機銃1基、
13mm連装機銃2基(艦によっては後に25mm連装機銃2基に換装)、61cm魚雷連装発
射管4基8門(「阿武隈」は4連装発射管2基8門)、水偵1機搭載(射出機1基)
最大速力:34.5kt
(「鬼怒」「阿武隈」は34.2kt)
航続距離:10ktで9000浬
乗員定数:477名

同型艦名(6隻)
長良"Nagara"五十鈴"Isuzu"名取"Natori"
由良"Yura"鬼怒"Kinu"阿武隈"Abukuma"

長良型軽巡洋艦について
 「球磨」型に引き続き建造された5,500トン型軽巡洋艦がこの「長良」型である(そのため古い資料などでは「球磨」型に含まれていることがある)。八四艦隊計画で三隻、八八艦隊計画で三隻の計六隻が建造されている。
 基本的に「球磨」型と同等のものであったが、水雷戦隊の任務拡大に伴い水上偵察機を搭載するようになったのが大きな違いである。ただし建造当時は航空機を射出するカタパルトなどが無く、航空機を発艦させるには艦を停止させクレーンで水上機を海面に降ろして発進させる必要があった。
 そこで「長良」型は艦首部分に滑走台を設置し、そこから艦上偵察機を発艦させるようにしていた。しかし滑走台を使用するには航空機が車輪を持ったものでないとダメだったので、発進させてしまうと帰艦させることができず、陸上の基地に戻らせるか航空機は使い捨てで着水させ搭乗員のみを回収するしかなかった。そのため実際に滑走台を使用した例は無く、1930年代初頭に「鬼怒」で完成したばかりの射出機を使った実験が繰り返され、その後カタパルトが実用化されるに至って全艦から滑走台は撤去された。
 就役後の技術進歩や不具合の修正のために「長良」型は何度も近代化改修などを行っているものの、1930年代後半に就役した列強各国(日本を含む)の新鋭軽巡に比べると、艦型は小さく速度や航続距離に劣り武装も貧弱と旧式化は隠せなくなってきていたが、他に代替できる軽巡が無かったため太平洋戦争では戦隊旗艦や護衛任務など各方面での任務に活躍し、全艦が戦没してしまっている。

長良型軽巡洋艦の歴史
「長良」「長良」=濃尾平野を流れる長良川から取った名称
流長160km。鵜飼いが行われることで有名
1920年 9月 9日佐世保工廠にて起工
1921年 4月25日進水
1922年 4月21日竣工
1931年12月〜対空兵装の強化、滑走台の撤去・射出機の設置などの工事を実施
1935年復原性能改善のためバラスト搭載工事を実施
1937年12月 8日〜日華事変で中国沿岸部での作戦に従事
1941年 1月30日〜遣支艦隊に所属し、仏印進駐作戦に参加
     11月26日〜南遣艦隊に所属し、太平洋戦争に参加。東インド諸島攻略などに従事
1942年 5月ミッドウェー海戦に参加
      8月16日〜トラック進出。第二次ソロモン海戦等に参加
1943年 2月〜ガダルカナル撤退を支援
     12月 5日クェゼリンにて米艦載機の攻撃を受け損傷を負う
1944年 1月修理のため本土へ帰還(修理完了は同年4月)
      6月29日〜日本近海での輸送作戦に従事
      8月 7日天草沖にて米潜水艦「クロウカー」の雷撃を受け沈没
     10月10日除籍
「名取」「名取」=仙台市を流れる名取川から取った名称
昔は鮭漁が盛んであった
1920年12月14日三菱長崎造船所にて起工
1922年 2月16日進水
      9月 5日竣工
1937年 8月10日〜日華事変で中国沿岸部での作戦に従事
1939年改装工事を実施
1941年 4月第三艦隊に所属し、仏印進駐作戦に参加
     12月 7日〜太平洋戦争に参加。比島作戦に従事
     12月10日ルソン島近海にて米軍機の爆撃を受け損傷を負う
1942年 1月31日〜蘭印作戦・バタビヤ沖海戦等に参加
      3月10日〜東インド方面の哨戒任務等に従事
1943年 1月 9日アンボン近海にて米潜水艦「タウトグ」の雷撃を受け損傷を負う
      1月21日アンボンにて仮修理を行うが、米爆撃機の攻撃を受けさらに損傷を負う
      2月〜マカッサル、シンガポール経由で本土へ帰還。修理を実施(完了は翌年4月)
1944年 5月〜輸送任務などに従事
1944年 8月18日サマール島東方で米潜水艦「ハードヘッド」の雷撃を受け沈没
     10月10日除籍
「由良」「由良」=丹波高地に源を発し舞鶴湾にそそぐ由良川から取った名称
1921年 5月21日佐世保工廠にて起工
1922年 2月15日進水
1923年 3月20日竣工
1929年〜射出機の設置工事を実施。射出機の運用実験を行う
1931年12月〜第一次上海事変のため揚子江警備に従事
1933年対空兵装の強化、滑走台撤去工事を実施
1937年 8月10日〜日華事変で中国沿岸部での作戦に従事
1941年11月24日〜海南島進出。第五艦隊に所属し、太平洋戦争に参加
1942年 5月29日〜第二艦隊に所属し、ミッドウェー作戦に参加
      8月11日〜トラック進出。ガダルカナル攻略作戦に従事
     10月25日ツラギ東方で米潜水艦「グランパス」の雷撃を受け大破。味方艦により自沈処分
     11月20日除籍
「鬼怒」「鬼怒」=栃木・茨城両県を流れ利根川にそそぐ鬼怒川から取った名称
流長170km。紅葉時期の渓谷が観光名所として有名
1921年 1月17日川崎神戸造船所にて起工
1922年 5月29日進水
     11月10日竣工
1930年射出機の設置工事を実施。射出機による射出実験を実施(翌年射出機を撤去)
1934年対空兵装の強化、滑走台の撤去・射出機の設置などの工事を実施
1937年 8月10日〜日華事変で中国沿岸部での作戦に従事
1941年11月20日〜海南島進出。第五艦隊に所属し、太平洋戦争に参加
1942年 3月 1日ジャワ作戦従事中、米軍機の爆撃を受け戦死者を出す
      5月〜本土へ帰還。入渠整備および改修工事を実施
1943年 4月〜南西方面艦隊に所属
      6月23日マカッサルにて米軍機の爆撃を受け損傷を負う
      8月〜本土へ帰還。修理を実施。その後も改修工事を実施
1944年10月26日パナイ島付近で米空母機の爆撃を受け沈没
     12月20日除籍
「阿武隈」「阿武隈」=福島県に源を発し宮城県で海にそそぐ阿武隈川から取った名称
流長196km。古くから奥羽の交通に利用されていた
1921年12月 8日浦賀船渠にて起工
1923年 3月16日進水
1925年 5月25日竣工(関東大震災の影響のため竣工は予定より1年以上遅れた)
1930年10月20日演習中に軽巡「北上」と衝突、艦首部を損傷。その後修理を実施
(この修理のため「阿武隈」は他の姉妹艦と艦首形状が異なる)
1931年12月〜第一次上海事変のため揚子江警備に従事
1938年 4月 9日〜日華事変で中国沿岸部での作戦に従事
1941年11月26日〜空母機動部隊警戒隊に所属し、太平洋戦争に参加
1942年 5月29日〜アリューシャン作戦に参加
1943年 7月 7日〜キスカ撤退作戦に参加
1944年10月21日〜比島沖海戦(スリガオ海峡海戦)に参加
     10月25日スリガオ海峡で米軍機の攻撃を受け沈没
     12月20日除籍
「五十鈴」「五十鈴」=伊勢神宮の側を流れる五十鈴川から取った名称
戦前は聖域の川として教科書にも取り上げられていた
1920年 8月10日浦賀船渠にて起工
1921年10月29日進水
1923年 8月15日竣工
1941年12月〜支那方面部隊に所属し、太平洋戦争に参加
1942年 8月16日〜トラック進出。南太平洋海戦等に参加
     12月第三次ソロモン海戦での損傷修理後は輸送任務などに従事
1943年12月 5日ルオットにて米軍機の爆撃を受け大破。修理のため本土へ帰還
 修理の際に防空軽巡に改装される。以下の戦歴は軽巡洋艦「五十鈴」の項を参照


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