最上(2代)型 軽巡洋艦

"Mogami(2)" Class LightCruisers


最上(軽巡時代)
軽巡洋艦「最上」(1935年頃)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
最上
第20号(2013.10.29)
重巡洋艦「最上」1944年
三隈
第32号(2014.04.15)
重巡洋艦「三隈」1942年
鈴谷
第66号(2015.08.04)
重巡洋艦「鈴谷」1940年
熊野
第77号(2016.01.05)
軽巡洋艦「熊野」1938年

スペックデータ(竣工時:軽巡)【 】内は「鈴谷」「熊野」のもの
排水量:(公)11,169t
     【(公)13,440t】
ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×8基
(「最上」「三隈」はロ号艦本式罐・重油専焼×10基)
燃料搭載量:重油 2280t
全長:189.0m【187.7m】
全幅:18.22m【20.2m】 主機:艦本式オールギヤードタービン×4基、4軸推進
吃水:5.50m【5.90m】
出力:152,000hp
武装:
60口径15.5cm3連装砲5基、40口径12.7cm連装高角砲4基、
25mm連装機銃4基、13mm連装機銃2基、61cm魚雷3連装発射管4基12門、
水偵3機搭載(射出機2基)
最大速力:37.0kt【35.0kt】
航続距離:14ktで8000浬
乗員定数:830名
スペックデータ(主砲換装(昭和14年)後:重巡)
排水量:(公)13,887t
(「最上」は14,146t)
ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×8基
(「最上」「三隈」はロ号艦本式罐・重油専焼×10基)
燃料搭載量:重油 2215t
全長:200.6m
全幅:20.51m
(「鈴谷」「熊野」は20.2m)
主機:艦本式オールギヤードタービン×4基、4軸推進
吃水:6.10m
出力:152,000hp
武装:
50口径20.3cm連装砲5基、40口径12.7cm連装高角砲4基、
25mm連装機銃4基、13mm連装機銃2基、61cm魚雷3連装発射管4基12門、
水偵3機搭載(射出機2基)
最大速力:34.74kt
航続距離:14ktで8000浬
乗員定数:894名
スペックデータ(航空巡洋艦改装(昭和18年)後:「最上」のみ)
排水量:(公)14,142t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×10基 燃料搭載量:重油 2411t
全長:200.6m
全幅:20.51m 主機:艦本式オールギヤードタービン×4基、4軸推進
吃水:6.10m
出力:152,000hp
武装:
50口径20.3cm連装砲3基、40口径12.7cm連装高角砲4基、
25mm3連装機銃10基、61cm魚雷3連装発射管4基12門、
水偵11機搭載(射出機2基)
最大速力:35.0kt
航続距離:14ktで7700浬
乗員定数:930名

同型艦名(4隻)
最上(2代)"Mogami(2)"三隈"Mikuma"
鈴谷(2代)"Suzuya(2)"熊野"Kumano"

最上(2代)型軽巡洋艦について
 先に建造した「高雄」型の完成によりロンドン条約における重巡洋艦の保有制限枠を使い果たした日本海軍だったが、重巡洋艦は戦艦に次ぐ主力艦として更に建造を続けたかった。そこでロンドン条約の規定では巡洋艦は重巡も軽巡も排水量は一万トン以下であり、違いは主砲の口径だけであることに着目し、主砲を軽巡の規格である15.5センチ砲にしてその他の船体構造は重巡と同じ艦を建造し、条約明けになったら主砲を20.3センチのものに積み換えることを考えついた。このようにして「最上」型は建造されたのである。
 船体が重巡クラスの物であったために艦幅が広く、15センチの連装砲では余裕がありすぎるために主砲塔は三連装とされ、速力は37ノット、魚雷発射管も三連装四基と「高雄」型より強力な雷装となっている。
 そしてロンドン条約の期限が切れた1939年(昭和十四年)に予定通り主砲塔の換装を行っている。ちなみにこの時降ろした主砲塔は戦艦「大和」型の副砲として16基(4基×四艦)と軽巡「大淀」型の主砲4基(2基×二艦)として使用されることになっていた(実際には「大和」型に二艦分8基、「大淀」型に一艦分2基が使用されただけに終わった)。
 1942年に「最上」と「三隈」が衝突事故をおこしたため、「最上」は修理の際に航空巡洋艦として改造され、後部甲板の四番・五番砲塔を撤去して飛行甲板を設置し11機(計画での数字。実際は5〜7機程度)の水偵を搭載できるようになったが、改装が完了した頃には戦局が悪化しており目立った活躍の場は残っていなかった。
(2015,12,26追記)上掲の模型写真のうち「熊野」については軽巡洋艦時代の姿であるが、模型台座の記述は重巡洋艦と間違っているので注意してほしい。

「最上」(2代)型軽巡洋艦の歴史
「最上」(2代)「最上」=山形・福島県境の吾妻山に源を発し庄内平野を流れる最上川から
取った名称。流長217km。昔は重要な輸送路として使用された
1931年10月27日呉工廠にて起工
1934年 3月14日進水
1935年 7月28日竣工
       9月26日三陸沖で演習中に嵐に遭遇。船体に損傷を負う(第四艦隊事件)
1939年 1月31日〜主砲塔の換装工事を行う(対外的には軽巡洋艦の類別のまま)
1941年11月20日〜第二艦隊に所属し、太平洋戦争に参加。マレー、蘭印作戦等に従事
1942年 3月 1日バタビア沖海戦に参加。米重巡「ヒューストン」、濠軽巡「パース」を撃沈する
       5月22日〜ミッドウェイ作戦に参加
       6月 5日ミッドウェイ作戦参加中に重巡「三隈」と衝突、中破
       6月 7日米軍機の攻撃を受け被爆、大破
       8月修理のためトラック島を出て本土へ帰還
       9月 1日〜破損部分の修理と航空巡洋艦への改造工事を行う
1943年 5月〜修理・改修が完了。内地で訓練後ラバウルへ進出
      11月 5日ラバウルにて米軍機の空襲を受け損傷
      11月末修理のためトラック島経由で本土へ帰還
1944年 3月 8日〜第三艦隊に所属し、タウイタウイに進出。6月マリアナ沖海戦に参加
       7月 8日〜リンガ進出。10月比島沖海戦に参加
      10月25日スリガオ海峡にて米軍の攻撃を受け被弾・被爆(スリガオ海峡海戦)。
重巡「那智」と衝突し大破。後に味方艦の雷撃により自沈処分される
      12月20日除籍
「三隈」「三隈」=九州の日田盆地を流れる三隈川から取った名称
筑後平野に流れ込むと筑後川と名前が変わる
1931年12月24日三菱長崎造船所にて起工
1934年 5月31日進水
1935年 8月29日竣工
       9月26日三陸沖で演習中に嵐に遭遇(第四艦隊事件)
1939年 6月30日〜主砲塔の換装工事を行う
1941年11月20日〜第二艦隊に所属し、太平洋戦争に参加。マレー、蘭印作戦等に従事
1942年 3月 1日バタビア沖海戦に参加。米重巡「ヒューストン」、濠軽巡「パース」を撃沈する
       5月22日〜ミッドウェイ作戦に参加
       6月 5日ミッドウェイ作戦参加中に重巡「最上」と衝突、小破
       6月 7日米軍機の攻撃を受け被爆、大破。沈没
       8月10日除籍
「鈴谷」(2代)「鈴谷」=樺太を流れる鈴谷川から取った名称
流長120km。現在のユージノサハリンスクの側を流れている
1933年12月11日横須賀工廠にて起工
1934年11月20日進水
1937年10月31日竣工
1939年 2月〜主砲塔の換装工事を行う
1941年11月20日〜第二艦隊に所属し、太平洋戦争に参加。マレー、蘭印作戦等に従事
1942年 5月22日〜ミッドウェイ作戦に参加
       7月17日〜シンガポール進出。第二次ソロモン海戦、ガダルカナル島砲撃等に参加
1943年 6月16日〜ラバウル進出。防空対輸送任務、マリアナ沖海戦等に参加
1944年 7月 8日〜リンガ進出。比島沖海戦に参加
      10月25日サマール沖海戦で被爆、沈没
      12月20日除籍
「熊野」「熊野」=紀伊半島を流れる熊野川から取った名称
流長140km。切り出した木材の運搬に利用された
1934年 4月 5日川崎神戸造船所にて起工
1936年10月15日進水
1937年10月31日竣工
1939年 5月20日〜主砲塔の換装工事を行う
1941年11月20日〜第二艦隊に所属し、太平洋戦争に参加。マレー、蘭印作戦等に従事
1942年 5月22日〜ミッドウェイ作戦に参加
       7月17日〜シンガポール進出。第二次ソロモン海戦、ガダルカナル島砲撃等に参加
1943年11月 3日〜タウイタウイに進出。マリアナ沖海戦に参加
1944年 7月 8日〜リンガ進出。比島沖海戦に参加
      10月25日サマール沖海戦で米軍の攻撃を受け被爆、被雷。
      11月25日修理のため本土へ回航中に米空母機の攻撃を受け沈没
1945年 1月20日除籍


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