球磨型 軽巡洋艦

"Kuma" Class LightCruisers


球磨
軽巡洋艦「球磨」(1935年頃)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
球磨
第68号(2015.00.00)
軽巡洋艦「球磨」1940年

スペックデータ(竣工時)
排水量:(公)5,500t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×10基
   ロ号艦本式罐・石炭重油混焼×2基
燃料搭載量:石炭  350t
        重油 1260t
全長:152.4m
全幅:14.17m 主機:技本・三菱・パーソンス式オールギヤードタービン×4基、4軸推進
(「大井」は技本・川崎・ブラウン式オールギヤードタービン×4基、4軸推進)
吃水:4.80m
出力:90,000hp
武装:
50口径14cm単装砲7基、40口径7.6cm単装高角砲2基、
53cm魚雷連装発射管4基8門、水偵1機搭載(「木曾」は艦偵1機搭載)
最大速力:36.0kt
航続距離:14ktで5000浬
乗員定数:450名
スペックデータ(改装(昭和7〜9年)後)
排水量:(公)7,044t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×10基
   ロ号艦本式罐・石炭重油混焼×2基
燃料搭載量:石炭  350t
        重油 1260t
全長:152.4m
全幅:14.17m 主機:技本・三菱・パーソンス式オールギヤードタービン×4基、4軸推進
(「大井」は技本・川崎・ブラウン式オールギヤードタービン×4基、4軸推進)
吃水:4.80m
出力:90,000hp
武装:
50口径14cm単装砲7機、25mm連装機銃2基、
53cm魚雷連装発射管4基8門、水偵1機搭載(射出機1基)
(太平洋戦争中に14cm砲を2基減らして12.7cm連装高角砲1基を搭載)
最大速力:33.6kt
航続距離:14ktで5000浬
乗員定数:不明

同型艦名(5隻)
球磨"Kuma"多摩"Tama"北上"Kitakami"
大井"Ooi"[Ôi]木曽"Kiso" 

軽巡洋艦 球磨型について
 八四艦隊計画で日本海軍は小型巡洋艦(小巡と称した)の「天龍」型六隻と大型巡洋艦三隻を計画していた。ところが水雷戦隊の旗艦として建造された「天龍」型は日本初の軽巡洋艦として充分な能力を持っていたものの、列強の軽巡洋艦の進歩はめざましく第一次世界大戦後には旧式艦と化していたため二隻で建造は終了してしまった。
 とはいえ八四艦隊計画で残り七隻の巡洋艦すべてを大型巡洋艦として建造するには予算が無かったので、八六艦隊計画成立時に「5,500t」型軽巡九隻の建造計画へ変更となった。この「5,500t」型軽巡の最初の五隻として建造されたのが「球磨」型である。
 「球磨」型は「天龍」型の流れを汲み、水雷戦隊旗艦としての機能も持ち仮想敵国であるアメリカの巡洋戦艦「レキシントン」型(軍縮条約により航空母艦として竣工)の33ノットをしのぐ36ノットという高速力を発揮できたが、列強の軽巡洋艦と比べると武装は貧弱であった。
 他の姉妹艦が分解した水上偵察機を搭載し必要時には組み立ててデリックで水上へ上げ下ろししていたのとは異なり、竣工時の「木曾」は艦橋前部に滑走台を設け艦上偵察機を発進させるようになっていたが、滑走台を使用する飛行機は水上機では無く陸上機だったので、この方式では発進した飛行機は水面上に不時着水するか陸上基地へ帰還するしかなく、機体の再搭載には港湾施設にある大型クレーンが必用だったため、後に他の姉妹艦と同様に射出機利用の水上偵察機搭載へ改装された。
 なお「大井」と「北上」は太平洋戦争直前に重雷装艦に改造されている(軽巡洋艦「大井」型の項で後述する)。
 余談だが、「大井」の艦名をローマ字(英語)表記した場合[Ôi]と表すこととなり、海防艦「伊王」[Iô]とともに二文字の艦名は世界で一番短い軍用艦艇の名前(記号・番号名を除く)と言われている。

軽巡洋艦 球磨型の歴史
「球磨」「球磨」=熊本県を流れる球磨川から取った名称
流長114km。日本三急流の一つとされる
1918年 8月29日佐世保工廠にて起工
1919年 7月14日進水
1920年 8月31日竣工
1922年 8月31日〜第一艦隊第三戦隊に所属し、シベリア撤兵に参加。沿海州警備に従事
1927年12月〜第二遣外艦隊に所属し、青島周辺の警備任務に従事
1932年 2月〜上海事変に際し、第三艦隊へ編入
1934年末射出機および魚雷発射管の搭載工事を実施
1937年 9月 8日〜第三艦隊に所属し、日華事変に参加。華中作戦に従事
1941年12月 7日〜第三艦隊第十六戦隊に所属し、太平洋戦争に参加
     12月10日〜フィリピン攻略作戦に従事
1942年 1月10日〜第三南遣艦隊に所属。フィリピン諸島の哨戒任務に従事
      3月〜セブ島、ミンダナオ島攻略の支援を実施
      4月 9日タノン海峡にて米飛行艇および魚雷艇の雷撃を受けるも不発のため無事
      5月〜コレヒドール攻略を支援。マニラ湾周辺の哨戒任務に従事
      9月20日〜南洋方面にて輸送任務、哨戒任務に従事
1943年 6月〜蘭印諸島周辺での哨戒任務に従事
      6月23日マカッサルにて米軍機の爆撃を受ける
戦隊旗艦「鬼怒」損傷のため旗艦任務を引き継ぐ
     11月シンガポールにて対空兵装強化の改修を実施。改修後は南洋で哨戒任務などに従事
1944年 1月11日ペナン島西方にて英潜水艦「タリー・ホー」の雷撃を受け沈没
      3月10日除籍
「多摩」「多摩」=関東平野を流れる多摩川から取った名称
流長126km。昔から飲用や農業用水として活用された
1918年 8月10日三菱長崎造船所にて起工
1920年 2月10日進水
1921年 1月29日竣工
1922年 8月31日〜第一艦隊第三戦隊に所属し、シベリア撤兵に参加。沿海州警備に従事
1925年客死した米駐日大使の遺体を米国へ礼送する
1932年満州事変に際し、中国沿岸部の警備任務に従事
1937年 7月29日〜第三艦隊に所属し、日華事変に参加。中国沿岸部での作戦に従事
1941年12月 7日〜第五艦隊旗艦となり、太平洋戦争に参加
1942年 3月〜日本近海に出没する米機動部隊の捜索に参加
      5月28日〜アリューシャン作戦・キスカ攻略等に参加。その後は護衛任務や哨戒任務に従事
1943年 3月26日輸送任務中米艦隊と遭遇、砲戦となる(アッツ島沖海戦)
      7月10日〜キスカ撤退作戦に従事。各方面で輸送任務に従事
      9月〜横須賀工廠にて改修を実施。その後は南洋への輸送任務に従事
     10月21日ラバウル近海にて豪攻撃機の攻撃を受け損傷
     10月末〜横須賀工廠にて修理および対空兵装強化などの改修を実施
     12月〜北方海域で哨戒任務に従事
1944年 8月30日〜第十一水雷戦隊旗艦となる
     10月20日〜比島沖海戦に参加
     10月25日エンガノ岬沖にて被爆大破
待避中、ルソン海峡にて米潜水艦「ジャラオ」の雷撃を受け沈没
     12月20日除籍
「北上」「北上」=東北一の河川、北上川から取った名称
流長244km。石川啄木の歌に詠まれていることでも有名
1919年 9月 1日佐世保工廠にて起工
1920年 7月 3日進水
1921年 4月15日竣工
 以下の戦歴は軽巡洋艦「大井」型を参照のこと
「大井」「大井」=静岡県中部を流れる大井川から取った名称
流長170km。昔は東海道の難所として有名であった
1919年11月24日川崎神戸造船所にて起工
1920年 7月15日進水
1921年10月 3日竣工
 以下の戦歴は軽巡洋艦「大井」型を参照のこと
「木曽」「木曾」=東海地方一の河川、木曽川から取った名称
流長230km。かつては筏流しの盛んな川であった
1919年 6月10日三菱長崎造船所にて起工
1920年12月14日進水
1921年 5月 4日竣工
1922年 8月31日〜シベリア撤兵に参加。沿海州警備に従事
1928年12月〜第二遣外艦隊に所属し、中国沿岸部の警備任務に従事
1937年10月〜第四艦隊第四水雷戦隊旗艦として、日華事変に参加。中国沿岸部での作戦に従事
1941年12月 7日〜第五艦隊に所属し、太平洋戦争に参加
1942年 3月〜日本近海に出没する米機動部隊の捜索に参加
      5月28日〜アリューシャン作戦・キスカ攻略等に参加。その後は護衛任務や哨戒任務に従事
1943年 3月26日輸送任務中米艦隊と遭遇、砲戦となる(アッツ島沖海戦)
      7月10日〜キスカ撤退作戦に従事。各方面で輸送任務に従事
     11月〜舞鶴工廠にて修理・対空兵装強化の改修を実施
1944年 3月〜内海にて訓練任務に従事。同年8月練習警備艦となる
     11月 1日〜第五艦隊に所属、ブルネイを経由しマニラへ進出
     11月13日マニラ湾に停泊中、米軍機の攻撃を受け被爆着底
     12月10日行動不能のまま予備艦となる
1945年 3月20日除籍
1955年〜浮揚解体処分


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