金剛(初代)型 巡洋艦

"Kongou(1)" Class Cruisers(Corvettes)


金剛
コルベット「金剛」(1870年代末)
スペックデータ
排水量:(常)2,250t ボイラー:円罐・石炭専焼×6基 燃料搭載量:石炭 330t
 (「比叡」は石炭 340t)
全長:(水)70.41m
全幅:12.42m 主機:横置還動型往復動蒸気機関(2気筒2段膨張式)×1基、1軸推進
吃水:5.33m
出力:2,035hp
(「比叡」は2,270hp)
武装:
20口径17.8cm単装砲3基(「比叡」は40口径)、15cm単装砲6基、
7.5cm単装砲2基、25mm4連装砲4基、11mm5連装砲2基、36cm魚
雷発射管1門
最大速力:13.7kt
(「比叡」は13.0kt)
航続距離:不明
乗員定数:286名

同型艦名(2隻)
金剛(初代)"Kongou(1)"[Kongô(1)]比叡(初代)"Hiei(1)"

金剛型巡洋艦について
 戦艦「扶桑」(初代)と同じく1875年(明治8年)にイギリスへ発注された巡洋艦。このサイトでは巡洋艦として掲載したが、正式には鉄骨に木を張った船体に厚さ137ミリの装甲を施した装甲コルベット艦である(日本海軍が1898年に初めて艦艇類別を定めた際には三等海防艦へ類別されており、巡洋艦に類別されたことは無い)。「金剛」「比叡」両艦とも1878年に竣工して日清・日露の両戦争に参加した。
 明治23年(1890年)9月18日、トルコ特使が乗艦したトルコ海軍艦「エルトグルル(エルトゥールル)」[Ertugrul]が日本近海で悪天候のため沈没したが、救助された乗員をトルコ本国へ送還するためにこの「金剛」と「比叡」が派遣され、トルコ皇帝をはじめトルコ国民の熱狂的な歓迎を受けている。

金剛(初代)型巡洋艦の歴史
「金剛」(初代)「金剛」=大阪府と奈良県の県境にそびえる金剛山地の
最高峰金剛山から取った。標高1125m。
1875年 9月24日イギリスのハールス社で起工
1878年 1月竣工。日本へ回航。同年4月横浜へ到着
1882年壬午事変(朝鮮事変)発生のため朝鮮半島近海で警備行動
1884年甲申政変(朝鮮事件)発生のため朝鮮半島近海で警備行動
1889年 8月〜少尉候補生の遠洋航海(ハワイ方面)に従事
1890年10月11日〜日本近海で沈没したトルコ軍艦乗員を本国送還するため欧州へ派遣
1893年ハワイ王国のクーデター騒ぎにて、国王派の要請によりホノルル港へ派遣され
クーデター軍へ圧力をかける(名目上は法人保護を理由とする派遣であった)
1894年常備艦隊に所属して、日清戦争に参加
1895年 1月30日威海衛夜襲攻撃に参加
1898年 3月21日三等海防艦に類別
1904年水雷艇隊母艦として、日露戦争に参加
1905年測量任務に従事
1909年 7月20日除籍。翌年解体
「比叡」(初代)「比叡」=京都府と滋賀県にまたがってそびえる比叡山から取った。
標高848m。天台宗総本山の延暦寺があることで有名。
1875年 9月24日イギリスのヘブン社で起工
1878年 2月竣工。日本へ回航。同年5月横浜へ到着
1880年インド、ペルシア、東南アジア方面の歴訪航海を行う
1882年壬午事変(朝鮮事変)発生のため朝鮮半島近海で警備行動
1889年 8月〜少尉候補生の遠洋航海(地中海方面)に従事
1890年10月11日〜日本近海で沈没したトルコ軍艦乗員を本国送還するため欧州へ派遣
1894年常備艦隊に所属して、日清戦争に参加
      9月17日黄海海戦に参加
1895年 1月30日威海衛夜襲攻撃に参加
1898年 3月21日三等海防艦に類別
1904年水雷艇隊母艦として、日露戦争に参加
1911年 4月 1日除籍。翌年解体


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