香取(2代)型 軽巡洋艦

"Katori(2)" Class Light(Training)Cruisers


香取
軽巡洋艦「香取」(1940年頃)
香椎
軽巡洋艦「香椎」(1941年頃:Photo from Wikimedia Commons)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
香取
第18号(2013.10.01)
軽巡洋艦「香取」1940年

スペックデータ
排水量:(公)6,300t ボイラー:ホ号艦本式罐・重油専焼×3基 燃料搭載量:重油 600t
全長:133.5m
全幅:15.95m 主機:艦本式オールギヤードタービン×2基、2軸推進
   艦本式22号ディーゼル機関×2基を併用
吃水:5.75m
出力:8,000hp
武装:
50口径14cm連装砲2基、40口径12.7cm連装高角砲1基、
25mm連装機銃2基、53.3cm魚雷連装発射管2基4門、
5cm単装礼砲4基、水偵1機搭載(射出機1基)
最大速力:18.0kt
航続距離:12ktで7000浬
乗員定数:315名+候補生275名

同型艦名(4隻)
香取(2代)"Katori(2)"鹿島(2代)"Kasima(2)"
香椎"Kasii"[Kasî]橿原"Kasihara"(建造中止)

香取(2代)型軽巡洋艦について
 日本海軍は旧式化した巡洋艦を候補生の練習艦として使用してきたが、1930年代になって旧式艦の老朽化や他用途への転用、海軍兵学校の教育期間短縮による卒業生(候補生)の増加などのため練習専用の巡洋艦を建造することとし、1938年(昭和13年度計画)で「香取」型二隻が建造されることになった(1939年(昭和14年度計画)に「香椎」が、1940年(昭和15年度第二次追加計画)には「橿原」の建造が追加された)。
 練習専用ということもあり、また建造費用の予算上制限もあって機関はタービンとディーゼルの併用で船体構造も商船構造だったが、候補生訓練のため多種多様な兵装を搭載し海外航海の際に行う外国歴訪のため儀礼上長官室を立派な内装にしているなどの特徴もあった。
 しかし竣工したときには時勢柄遠洋航海で欧米には派遣できず、「香取」「鹿島」の練習巡洋艦としての任務は大陸沿岸への練習航海にとどまり、「香椎」にいたっては練習巡洋艦としては一度も使用されなかった。また最終艦として計画されていた「橿原」は開戦準備のため、不要不急の艦として建造中止になっている。
 開戦後はそれぞれ潜水艦部隊の旗艦などとして実戦任務に従事しており、「鹿島」を除く二隻が戦没している。

香取(2代)型軽巡洋艦の歴史
「香取」(2代)「香取」=下総一の神社である香取神宮(千葉県)から取った。
祭神は経津主神。十三年ごとに行われる神幸祭は日本五大祭の一つ。
1938年 8月24日三菱重工横浜造船所にて起工
1939年 6月17日進水
1940年 4月20日竣工
      8月31日〜少尉候補生練習航海のため上海方面へ派遣(前期航海のみで9月20日終了)
     11月15日第一潜水戦隊旗艦となる
1941年11月24日〜第六艦隊旗艦としてクェゼリンへ進出。太平洋戦争に参加
1942年 1月〜ラバウル、ガビエン上陸を支援
      2月 1日クェゼリン環礁にて米艦載機の攻撃を受け損傷を負う
      4月横須賀にて修理を実施。同月末トラックへ進出
      8月横須賀へ帰還し修理・対空火器の増強を実施
1943年 3月〜横須賀へ帰還しドック入り。同年5月トラックへ再度進出
1944年 2月15日クェゼリン失陥のため旗艦任務を解かれ、海上護衛総隊所属となる
1944年 2月17日第4215船団を護衛しトラックを出航後、敵機の攻撃を受け損傷
米戦艦「アイオワ」、米重巡「ミネアポリス」「ニューオーリンズ」の砲撃により沈没
      3月31日除籍
「鹿島」(2代)「鹿島」=香取神宮と同じく武神を祭った鹿島神宮(茨城県)から取った。
祭神は建御雷神。やはり十三年ごとの神幸祭は日本五大祭の一つである。
1938年10月 6日三菱重工横浜造船所にて起工
1939年 9月25日進水
1940年 5月31日竣工
      8月31日〜少尉候補生練習航海のため上海方面へ派遣(前期航海のみで9月上旬終了)
     11月15日第四艦隊に編入
1941年 5月25日〜トラックへ進出。同年12月第四艦隊旗艦となる
1944年 1月23日〜兵学校練習艦として呉練習戦隊へ編入
1945年 2月12日〜海上護衛総隊に所属し、船団護衛任務に従事
      8月15日呉にて終戦を迎える
     10月 5日除籍。戦後は復員船として使用
1947年解体処分される
「香椎」「香椎」=福岡県にある香椎宮から取った。熊襲討伐の際にこの地で
崩ぜられた仲哀天皇とその皇后神功皇后を祭神とする神社である。
1940年 5月30日三菱重工横浜造船所にて起工
1941年 2月14日進水
      7月15日竣工
      8月 4日〜南遣艦隊旗艦として東南アジア方面へ進出
     12月31日〜ボルネオ、スマトラ等攻略戦に従事
1943年輸送船団の護衛任務などに従事
1944年 2月 1日〜兵学校練習艦として呉練習戦隊へ編入
      3月30日〜呉工廠にて対潜艦へ改装
      5月29日〜海上護衛総隊に所属し、船団護衛任務に従事
1945年 1月12日仏印キノン湾沖で敵機の攻撃を受け沈没
      3月20日除籍
「橿原」「橿原」=奈良県にある橿原神宮から取った。神武天皇の皇居の跡と
されている場所にあり神武天皇とその皇后五十鈴媛を祭神とする。
1941年 8月23日三菱重工横浜造船所にて起工
     12月太平洋戦争開戦のため不急艦として建造中止


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