装甲巡洋艦 阿蘇(初代)

ArmoredCruiser "Aso(1)"
("Баян"[Bayan])



阿蘇
装甲巡洋艦「阿蘇」(1915年:Photo from Wikimedia Commons)
阿蘇(敷設艦時代)
敷設艦「阿蘇」(1924年)
スペックデータ(装甲巡洋艦時のもの)
排水量:(常)7,800t ボイラー:ベルビール罐・石炭専焼×26基 燃料搭載量:石炭 1020t
全長:129.75m
全幅:17.50m 主機:直立型往復動蒸気機関(4気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:6.66m
出力:17,000hp
武装:
45口径20.3cm単装砲2基、45口径15.2cm単装砲8基、
7.6cm単装砲16基、45cm魚雷発射管2門
最大速力:22.0kt
航続距離:10ktで7,000浬
乗員定数:500名

同型艦名(1隻)
阿蘇(初代)"Aso(1)"

装甲巡洋艦 阿蘇(初代)について
 元はロシア海軍太平洋艦隊の装甲巡洋艦「バヤーン」(Bayan)であったが、日露戦争の際に旅順港内で大破着底していたところを捕獲され、修理・改装ののち日本海軍に編入となった。
 編入後は候補生練習艦として使用されたが、大正9年に前後の主砲を撤去し艦後部に機雷敷設用設備を搭載する改装が行われ、敷設艦へと類別変更されている。その後大正11年のシベリア出兵では、寒さに強い旧ロシア艦だったこともあり沿海州へ派遣された。

装甲巡洋艦 阿蘇(初代)の歴史
「阿蘇」(初代)「阿蘇」=九州の中心部にそびえる活火山。最高峰の高岳は
標高1592メートル。現在も中岳が活動中
1899年 3月ロシア海軍の「バヤーン」として仏ラ・セーヌで起工
1900年 6月12日進水
1902年12月竣工。旅順へ回航され、翌年2月ロシア太平洋艦隊に配属
1904年日露戦争勃発
      7月27日大河湾にて日本軍陣地を砲撃。旅順帰還時に触雷損傷
     12月 7日203高地を奪取した日本軍の砲撃により旅順港内で大破着底
1905年 1月 1日旅順陥落の際に日本軍に捕獲される。6月24日引き揚げ
      8月22日修理・改修後日本海軍に編入され、艦名を「阿蘇」と改称。一等巡洋艦に類別
1909年〜練習艦隊に所属し、少尉候補生の遠洋航海に従事(1915年まで)
1912年 4月〜修理に際し主砲を15.2センチ口径砲に換装、魚雷発射管を撤去(翌年3月完了)
1916年〜第一次大戦に際し、日本近海の哨戒任務に従事
1920年 4月 1日主砲塔を撤去、機雷敷設装備を施され敷設艦に類別される
1922年シベリア出兵に際し、沿海州へ派遣
1931年 4月 1日除籍。廃艦第4号と改称
1932年 8月 4日(8月8日説あり)標的艦として使用され、伊豆大島付近で沈没


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2015,05,03(First Up1998,06,28)
敷設艦時代の写真はロシアのVseslav氏から提供を受けました。