浅間(2代)型 装甲巡洋艦

"Asama(2)" Class ArmoredCruisers


常盤
装甲巡洋艦「常盤」(1905年頃)
スペックデータ(【 】内は「常盤」のもの)
排水量:(常)9,700t ボイラー:円罐・石炭専焼×12基 燃料搭載量:石炭 1409t
全長:124.36m
全幅:20.50m 主機:直立型往復動蒸気機関(4気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:7.42m
出力:18,000hp
武装:
45口径20.3cm連装砲2基、40口径15cm単装砲14基、
40口径7.5cm単装砲12基、47mm単装砲8基、
45cm魚雷発射管5門
最大速力:21.5kt
航続距離:10ktで7000浬
乗員定数:661名【643名】

同型艦名(2隻)
浅間(2代)"Asama(2)"常磐"Tokiwa"

浅間(2代)型 装甲巡洋艦について
 ロシア海軍極東艦隊の増強ぶりを憂慮した日本海軍は、当初の六四艦隊計画のうち装甲巡洋艦を四隻から六隻に増やして六六艦隊とすることを考えた。ちょうど都合の良いことにイギリスのアームストロング社が売却用として見込み建造していた装甲巡洋艦が二隻あったため、それを購入して増強を図ることにした。これが「浅間」型である。
 この艦は後に世界の戦艦の歴史を塗り替えることになる戦艦「ドレッドノート」[Dreadnought]を設計したフィリップ・ワッツの設計であり、日本海軍が購入した時点で建造がかなり進んでいたため、兵装を日本海軍仕様にした他はほとんど設計変更もなく、最後に計画追加された艦でありながら六六艦隊の装甲巡洋艦中で最初に竣工している。
 19世紀末に完成した艦ながら、両艦とも日露戦争、第一次大戦だけでなく、太平洋戦争終戦まで(艦籍に)生き残り、敗戦後に除籍解体されている。なお「浅間」は観艦式の天皇御召艦に四回(明治33年、36年、38年、41年)連続で選ばれたという日本海軍最多記録も持っている。

浅間(2代)型 装甲巡洋艦の歴史
「浅間」(2代)「浅間」=群馬と長野の県境にそびえる活火山である浅間山から取った名称。
標高2542m。コニーデ式の火山である
1896年10月20日イギリスのアームストロング社で起工
1898年 3月22日進水
1899年 3月18日竣工。同年5月17日横須賀へ到着
1900年義和団の乱(北清事変)勃発。警備任務に従事
1902年イギリスのエドワードZ世即位式のため欧州へ派遣
1904年 2月 6日〜第二艦隊に所属し、日露戦争に参加
      2月 9日仁川沖海戦に参加
      8月10日黄海海戦に参加
1905年 5月27日日本海海戦に参加。舵故障のため敵艦隊の砲撃を浴び損傷
1914年南遣艦隊に所属し、第一次世界大戦に参加。南洋諸島占領作戦に従事
1915年 1月31日メキシコ沖にて座礁・損傷。同年5月、工作艦「関東」により浮揚
1921年 9月 1日一等海防艦に類別
1931年 6月 1日海防艦に類別
1935年広島湾にて座礁
1942年 7月 1日練習特務艦に類別。主・副砲を撤去される
1945年11月30日除籍。後に解体処分
「常磐」「常盤」=永遠不変の意を象徴する漢成語である
1897年 1月 6日イギリスのアームストロング社で起工
1898年 7月 6日進水
1899年 5月18日竣工。同年7月17日横須賀へ到着
1900年義和団の乱(北清事変)勃発。警備任務に従事
1904年 2月 6日〜第二艦隊に所属し、日露戦争に参加
      8月14日蔚山沖海戦に参加
1905年 5月27日日本海海戦に参加
1914年 8月17日〜第二艦隊に所属し、第一次世界大戦に参加。青島攻略作戦に従事
     10月〜独東洋艦隊追跡のため、南遣艦隊へ増派される
1921年 9月 1日一等海防艦に類別
1922年 9月20日機雷敷設装備を施され敷設艦に類別
1927年 8月 1日佐伯湾で敷設訓練中、機雷の爆発事故をおこし損傷
1931年 6月 1日海防艦に類別。中国沿岸などの警備などに従事
1941年12月 8日〜第四艦隊に所属し、太平洋戦争に参加
1942年 2月 1日クェゼリンにて米艦載機の空襲を受け損傷を負う
1944年本土近海や台湾海峡などで機雷敷設に従事
1945年 8月 9日大湊で米軍機の攻撃を受け大破着底
     11月30日除籍。後に解体処分


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