青葉型 重巡洋艦

"Aoba" Class HeavyCruisers


衣笠
重巡洋艦「衣笠」(1929年頃)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
青葉
第15号(2013.08.20)
重巡洋艦「青葉」1944年
衣笠
第53号(2015.02.03)
重巡洋艦「衣笠」1942年

スペックデータ(竣工時。【 】内は最終改装後)
排水量:(公)8,900t
   【(基)約9,000t】
ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×10基
   ロ号艦本式罐:石炭重油混焼×2基
   【ロ号艦本式罐・重油専焼×12基】
燃料搭載量:石炭  400t
        重油 1400t
       【重油 2040t】
全長:185.17m
全幅:15.83m【17.56m】 主機:三菱・パーソンス式オールギヤードタービン×4基、4軸推進
(「衣笠」は川崎・ブラウン式オールギヤードタービン×4基、4軸推進)
吃水:5.71m【5.66m】
出力:102,000hp
武装:
50口径20cm連装砲3基、45口径12cm単装高角砲4基、61cm連装魚雷
発射管6基12門、水偵1機搭載【50口径20.3cm連装砲3基、45口径
12cm単装高角砲4基、61cm魚雷4連装発射管2基8門、水偵2機搭載】
最大速力:33.4kt
航続距離:14ktで7000浬
      【14ktで7883浬】
乗員定数:643【657名】

同型艦名(2隻)
青葉"Aoba"衣笠"Kinugasa"

青葉型重巡洋艦について
 先に建造された重巡洋艦「古鷹」型は20センチ単装砲6基という重武装であったが、砲塔の軽量化のため弾薬庫から弾薬を供給する際、一度に砲塔へ弾薬を搬送せずに中甲板まで弾薬を揚げてから、更に砲塔へ弾薬を搬送するという二段階方式を採用していた。このため大がかりな給弾装置が不要となり砲塔の軽量化には成功したものの、中甲板上での給弾装置間の移動を人力に頼ったために給弾速度が遅く、長時間の戦闘で砲塔内の弾薬の備蓄が減ると砲の発射速度が遅くなる欠点を持っていた。
 ところがワシントン軍縮条約が締結され、補助艦艇は排水量1万トン以内・砲は最大20.3センチと定められたおかげで、「古鷹」型も無理な軽量化をせずに改良できる余地が残されたので火力の増大を図るために再設計が行われることになった。そこで「古鷹」型の三・四番艦として建造される予定であった「青葉」「衣笠」は、主砲を新設計の連装砲塔3基に変更して建造されることとなったのである。
 新しい連装砲塔は「古鷹」型の単装砲塔二基よりも重かったが、「古鷹」型の設計には余裕があったために性能の低下は起こらなかった。
 後にこの主砲塔の改装は「古鷹」「加古」の両艦にも行われたので「古鷹」型も最終的に「青葉」型と同型となり、資料によっては四隻合わせて「古鷹」型として分類されるようになっている。
 なお「衣笠」の名前の由来であるがこのページでは「横須賀にある衣笠山」としたが、徳島県にある衣笠山(別名高越山)から取った名称であるという説(浅井将秀「日本軍艦船名考」など)もある。

青葉型重巡洋艦の歴史
「青葉」「青葉」=京都府と福井県の県境にそびえる青葉山から取った名称
標高700m。現在は若狭湾国定公園の一部である
1924年 2月 4日三菱長崎造船所にて起工
1926年 9月25日進水
1927年 9月20日竣工
1937年 8月20日〜日華事変で上海上陸作戦に参加
1938年11月〜改装工事に着手。主砲を20.3センチ口径に換装
1941年12月 4日〜南洋部隊に所属し太平洋戦争に参加。トラック方面へ進出
1942年 6月29日〜ラバウル進出。第一次ソロモン海戦に参加
     10月11日ガダルカナル砲撃任務で米艦隊と遭遇戦となる(サボ島沖海戦)
敵のレーダー射撃により40発もの命中弾を受け大破
     10月22日呉へ帰投。修理を実施。損傷の酷かった後部砲塔は撤去(翌年2月完了)
1943年 4月 3日3月末ラバウルへ進出。ニューアイルランド島北端に停泊中、米軍機の攻撃を
受け浸水。浅瀬に乗り上げることで沈没を免れる
      8月 1日応急修理後、呉へ帰投。修理を実施。後部砲塔を再搭載、対空兵装の強化が
行われるが、機関部の修理は行われず最高速力が低下する(11月完了)
1943年末シンガポール方面へ進出。輸送任務、通商破壊などに従事
1944年10月23日比島沖海戦に参加。米潜「ブリーム」の雷撃を受け大破する
     12月12日マニラ〜サンタクルーズ経由で呉へ帰投。損傷が大きく修理不可能と判断され
呉軍港に繋留放置される
1945年 3月〜呉軍港の防空浮き砲台として使用される(対空機銃を増設)
      7月24日呉港外にて米軍の攻撃を受け浸水着底。同月28日の爆撃により完全に破壊
     11月20日除籍
1946年浮揚解体される
「衣笠」「衣笠」=神奈川県の横須賀軍港に近い衣笠山から取った名称
衣笠山とは大楠山の側にある三浦氏の城跡を指す
1924年 1月23日川崎神戸造船所にて起工
1926年10月24日進水
1927年 9月30日竣工
1928年航空機カタパルトを設置(日本海軍初の射出機設置軍艦)
1937年 8月20日〜日華事変で上海上陸作戦に参加
     10月〜改装工事に着手。主砲を20.3センチ口径に換装
1941年12月 4日〜南洋部隊に所属し、太平洋戦争に参加。トラック方面へ進出
1942年 1月〜ソロモン諸島、ニューギニアへの上陸を支援
      6月 5日呉へ帰投。修理を実施
      6月29日〜ラバウル進出。第一次・第二次ソロモン海戦等に参加
     10月11日ガダルカナル砲撃任務で米艦隊と遭遇戦となる(サボ島沖海戦)
米軽巡「ボイシ」に命中弾を与える
     11月14日第三次ソロモン海戦で米艦載機及び基地機の攻撃を受け沈没
     12月15日除籍


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