戦艦 丹後

Battleship "Tango"
("Полтава"[Poltava])



丹後
戦艦「丹後」(1908年頃:Photo from Wikimedia Commons)
スペックデータ
排水量:(常)10,960t ボイラー:宮原罐・石炭専焼×16基 燃料搭載量:石炭 950t
全長:108.7m
全幅:21.3m 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:7.78m
出力:10,600hp
武装(就役時):
30口径30.5cm連装砲2基、40口径15cm連装砲4基、
40口径15cm単装砲4基、40口径7.5cm単装砲10基、
47mm単装砲4基、45cm魚雷発射管4門
最大速力:16.2kt
航続距離:10ktで3000浬
乗員定数:668名

同型艦名(1隻)
丹後"Tango"

戦艦 丹後について
 元はロシア海軍所属の戦艦「ポルタワ」(Poltava)で、日露戦争開戦時ロシア太平洋艦隊(第一太平洋艦隊)に所属していた。三隻あるポルタワ型戦艦のネームシップだが、他の姉妹艦(「ペトロパブロフスク」[Петропавловск/Petropavlovsk]および「セバストポリ」[Севастополь/Sevastopol])は日露戦争にて戦没している。
 本艦は旅順港内に停泊していたが、203高地からの砲撃や日本海軍の旅順港閉塞作戦による被害のため大破着底していたところを捕獲され、戦後修理の後に日本海軍へ編入された。
 第一次大戦が始まると、今度は連合国として一緒に戦う事になったロシアへ返還されている。

戦艦 丹後の歴史
「丹後」「丹後」=古い国名。現在の京都府北部にあたる。奈良時代に
丹波国から分離して国と定められた。
1892年 5月 1日サンクトペテルブルクのニュー・アドミラルティ海軍造船所にて起工
1894年11月 6日進水
1897年ロシア海軍戦艦「ポルタワ」として竣工
1899年各種試験の後、バルト海艦隊へ配属
1901年極東へ転属。旅順口(ポートアーサー)を根拠地とする
1904年ロシア太平洋艦隊に所属し、日露戦争に参加
       2月日本海軍の旅順口攻撃に際し反撃を行う
       8月10日黄海海戦に参加
      12月 5日203高地を奪取した日本軍の砲撃により旅順港内で大破着底
1905年 5月浮揚作業開始。7月に浮揚完了し舞鶴へ回航される
       8月22日日本海軍に編入され、一等戦艦に類別
1916年 4月 4日除籍。ロシアへ返還され艦名を「チェスマ」(Чесма)[Chesma]と改名。
ウラジオストック艦隊に配属
1917年 2月白海艦隊に転属
      10月ロシア革命勃発。ソビエト軍に参加
1918年 3月ロシア内戦に際し介入した連合軍(英米仏)により捕獲される
捕獲後はボルシェビキを収容する水上刑務所として利用される
1920年連合軍撤退後、ボルシェビキの艦隊に所属となる
1921年保管のためアルハンゲリスクへ回航されるも、損傷が大きく修理されず
1923年廃棄処分が決定。翌年7月3日解役。後に解体処分


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