長門型 戦艦

"Nagato" Class Battleships


長門(改修後)
戦艦「長門」(1925年:煙突改修後)
長門
戦艦「長門」(1941年:最終改装後)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
長門
第3号(2013.03.05)
戦艦「長門」1944年
陸奥
第13号(2013.07.23)
戦艦「陸奥」1923年

スペックデータ(就役時)
排水量:(常)33,800t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×16基
     ロ号艦本式罐・石炭重油混焼×6基
燃料搭載量:石炭 1600t
         重油 3400t
全長:(全)215.80m
全幅:28.96m 主機:技本式オールギヤードタービン×4基、4軸推進
吃水:9.14m
出力:80,000hp
武装:
45口径40cm連装砲4基、50口径14cm単装砲20基、
40口径7.6cm単装高角砲4基、53cm魚雷発射管8門
最大速力:26.5kt
航続距離:16ktで5500浬
乗員定数:1,333名
スペックデータ(最終改装(昭和11年)後、【 】内は「陸奥」のもの)
排水量:(公)43,580t
    【(常)43,400t】
ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×10基 燃料搭載量:重油 5780t
       【重油 5600t】
全長:(全)224.94m【224.5m】
全幅:34.60m 主機:艦本式オールギヤードタービン×4基、4軸推進
吃水:9.49m【9.45m】
出力:82,000hp
武装:
45口径40cm連装砲4基、50口径14cm単装砲18基、
40口径12.7cm連装高角砲4基、25mm連装機銃10基、
水偵3機搭載
最大速力:25.0kt【25.3kt】
航続距離:16ktで10600浬
      【16ktで10090浬】
乗員定数:1,368名

同型艦名(2隻)
長門"Nagato"陸奥"Mutu"

長門型戦艦について
 ド級戦艦時代に乗り遅れた日本海軍は八八艦隊計画(戦艦八隻+巡洋戦艦八隻を基幹とする艦隊)を推進することにより列強海軍に追いつこうとした。この八八艦隊計画の第一段として建造されたのが戦艦「長門」型である。「長門」型は列強の戦艦に差を付けるために40センチという当時世界最大の主砲を搭載した最初の戦艦でもある。また主砲塔の配置も「扶桑」型「伊勢」型のように船体中央部分の砲塔は前後両方に向けられなかった教訓をふまえて設計され、船体前後二基ずつの「金剛」型と同様の配置となっている。しかも列強(特に仮想敵国であるアメリカ)海軍の主力戦艦よりも5ノット以上も優速な高速戦艦として設計されている(高速戦艦とは第一次世界大戦のジュットランド海戦で活躍したイギリス海軍の「クイーン・エリザベス」型のように戦艦の攻撃力・防御力を持ちながら巡洋戦艦なみの高速力を発揮できる戦艦のことである)。
 だが二番艦「陸奥」の竣工直後にワシントン条約が締結され、「長門」型以降の八八艦隊戦艦はついに建造されることはなく、しばらくの間「長門」型は世界最大の戦艦として君臨することになったのである。
 なお「長門」は太平洋戦争でも終戦まで生き残り、敗戦で米軍に接収された後にビキニ環礁での原爆実験の標的艦として使用され、被爆後深夜に誰にも見取られることなく沈没している。

長門型戦艦の歴史
「長門」「長門」=古い国名。現在の山口県北西部を指す。長州の名で
呼ばれることが多い。幕末期には多くの志士を輩出した。
1917年 8月28日呉工廠で起工
1919年11月 9日進水
1920年11月15日竣工
1923年 9月関東大震災発生のため救援物資輸送に参加
1924年前部煙突を改修(屈曲煙突となる)
1934年〜36年主機の換装、艦尾延長、兵装強化などの大改修を実施
1937年 8月第二次上海事変に際し、陸軍部隊の輸送任務に従事
1941年12月 8日〜連合艦隊旗艦として、太平洋戦争に参加
1942年 5月29日〜ミッドウェイ海戦に参加。空母「加賀」の生存者救助を実施
1943年 8月23日トラック島に進出
1944年 6月19日〜マリアナ沖海戦に参加
      10月23日〜レイテ湾突入(捷一号作戦)に参加
      10月24日比島沖海戦に参加。米艦載機の攻撃を受け損傷を負う
1945年 6月 1日横須賀の特別警備艦(浮き砲台)に類別
       7月18日横須賀軍港が連合軍機の空襲を受け、当艦も損傷を負う
       8月30日終戦のため進駐した米軍に接収される
       9月15日除籍。武装解除を実施
1946年 3月18日ビキニ環礁へ向け出港。途中エニウェトクにて応急修理を実施
       7月 1日ビキニ環礁にて原爆実験(クロスロード作戦)の空中爆発標的艦として使用
       7月25日第二次原爆実験(水中爆発)の標的艦として再度使用
       7月29日沈没
「陸奥」「陸奥」=古い国名。現在の青森・宮城・岩手・福島にまたがる地域を指す。
大化改新の際に国として定められた。
1918年 6月 1日横須賀工廠で起工
1920年 5月31日進水
1921年10月24日竣工
1922年 4月訪日した英皇太子エドワードの歓待に従事
1923年 9月関東大震災発生のため救援物資輸送に参加
1924年前部煙突を改修(屈曲煙突となる)
1927年艦首部の形状変更改修を実施
1934年〜36年主機の換装、艦尾延長、兵装強化などの大改修を実施
1937年 8月第二次上海事変に際し、陸軍部隊の輸送任務に従事
1941年12月 8日〜連合艦隊に所属し、太平洋戦争に参加
1942年 5月29日〜ミッドウェイ海戦に参加
1942年 8月17日トラック島に進出
       8月21日第二次ソロモン海戦に参加するも交戦なし
1943年 1月〜横須賀へ帰投。内地待機となる
       6月 8日呉港沖停泊中に火薬庫の爆発事故(原因不明)のため沈没
       9月 1日除籍
1944年 7月燃料庫から重油約600トンの回収に成功
1970年 3月   船体の一部や菊の紋章などが引き揚げられた
1971年 3月艦尾部分および第四砲塔の引き揚げに成功


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