鞍馬型 巡洋戦艦

"Kurama" Class BattleCruisers


鞍馬

伊吹
(上段)一等巡洋艦「鞍馬」(1911年)/(下段)一等巡洋艦「伊吹」(1910年)
スペックデータ(【 】内は「伊吹」のもの)
排水量:(常)14,636t ボイラー:宮原罐・石炭重油混焼×28基
                    【18基】
燃料搭載量:石炭 1868t
        重油  288t
 【石炭2000t、重油218t】
全長:137.2m
全幅:23.0m 主機:直立型往復動蒸気機関(4気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
   【カーチス式直結型タービン×2基、2軸推進】
吃水:7.96m
出力:22,500hp
   【24,000hp】
武装(就役時):
45口径30.5cm連装砲2基、45口径20.3cm連装砲4基、
40口径12cm単装砲14基、40口径7.5cm単装砲8基、
45cm魚雷発射管3門
最大速力:21.25kt【22.5kt】
航続距離:不明
乗員定数:844名

同型艦名(2隻)
鞍馬"Kurama"伊吹(初代)"Ibuki(1)"

鞍馬型巡洋戦艦について
 「筑波」型の建造が順調に進んでいるのを確認した日本海軍は、横須賀工廠で「筑波」型の改良型となる一等(装甲)巡洋艦を建造することにした。「筑波」型よりも火力の増強を図るため、戦艦「香取」「薩摩」のように中間砲が装備されている。この中間砲(45口径20.3センチ)は従来の巡洋艦主砲クラスであり、この船も「筑波」型と同様高速戦艦と呼ぶにふさわしいものとなった。
 日露戦争終結に伴い、急いで完成させる必要が無くなったため建造ペースは遅く、特に二番艦の「伊吹」はタービン機関の実験艦として機関をタービンに変更され建造された。このタービンは戦艦「安芸」に装備予定の物と同型であったため実用テストの意味も含め完成が急がれ、「伊吹」は一番艦の「鞍馬」より早く竣工することになった。このため、資料によっては本クラスを「伊吹」型としているものも見受けられる。
 いろいろな新機軸を盛り込んだ船ではあったが時代はすでにド級艦時代であり、準ド級艦の「鞍馬」型は竣工した時点で既に旧式艦あつかいとなったが、「伊吹」は有事の際のテストケースとして起工から進水までを綿密な計画の元に日程を定め6ヶ月というスピード(しかも超過勤務など無し)で進水しており、日本造船界が世界トップレベルにあることを示した好例といえる。
 第一次大戦やその後のシベリア出兵などに参加したものの、ワシントン海軍条約締結により削減対象とされ、竣工から12年ほどで除籍・廃艦となってしまった。なお、廃艦にあたって「鞍馬」の副砲塔および「伊吹」の主砲塔は陸上砲台の要塞砲に転用されている。

鞍馬型巡洋戦艦の歴史
「鞍馬」「鞍馬」=京都府北部にそびえる鞍馬山から取った。標高570m
山中に牛若丸が修行したと言われる鞍馬寺がある。
1905年 8月23日横須賀工廠にて起工
1907年10月21日進水
1911年 2月28日竣工。装甲巡洋艦に類別
       4月 1日〜英国国王ジョージV世戴冠式記念観艦式に出席のため欧州に派遣
1912年 8月28日巡洋戦艦に類別
1914年 8月29日〜第一次世界大戦勃発により日本近海の哨戒にあたる
       9月14日〜第一南遣支隊旗艦として南洋諸島制圧に参加
1920年 5月23日〜第三艦隊旗艦としてシベリア出兵に参加
1923年 9月20日ワシントン条約により除籍・解体
1929年副砲塔を千葉県の東京湾要塞(大房岬砲台)に設置
「伊吹」「伊吹」=琵琶湖国定公園内にある伊吹山地の主峰伊吹山から取った。
標高1377m。関西地方でもっとも古いスキー場がある。
1907年 5月22日呉工廠にて起工
      11月21日進水
1909年11月 1日竣工。装甲巡洋艦に類別
1912年 8月28日巡洋戦艦に類別
1914年 8月24日〜特別南遣支隊旗艦として第一次世界大戦に参加。
イギリス東洋艦隊と合同でインド洋船団護衛任務に従事
1920年 5月16日〜第五艦隊に所属し、シベリア出兵に参加
1923年 9月20日ワシントン条約により除籍・解体
1928年主砲塔を青森県の津軽要塞および大分県の豊予要塞に設置
1942年 1月11日豊予要塞にて実弾射撃演習中に砲が暴発、16名が殉職


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