戦艦 石見

Battleship "Iwami"
("Орёл"[Orel])



石見
戦艦「石見」(上空にファルマン水上機が写っている(合成か?)ので大正初期と思われる:Photo from Wikimedia Commons)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
ボロジノ
第61号(2015.05.26)
戦艦「ボロジノ」1905年
(「石見」の同型艦)

スペックデータ
排水量:(常)13,516t ボイラー:ベルビール罐・石炭専焼×20基 燃料搭載量:石炭 2000t
全長:114.6m
全幅:23.2m 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:7.96m
出力:16,500hp
武装(就役時):
40口径30.5cm連装砲2基、45口径20.3cm単装砲6基、
40口径7.5cm単装砲6基、47mm単装砲2基、
45cm魚雷発射管2門
最大速力:18.0kt
航続距離:10ktで8500浬
乗員定数:806名

同型艦名(1隻)
石見"Iwami"

戦艦 石見について
 元はロシア海軍ボロジノ型戦艦の「アリヨール」で、日本海海戦時ロシア海軍中最新最強の戦艦の一隻であった。
 リバウ軍港出港時には完成したばかりで公試が終了しておらず、工員を乗せて残工事を続けながらの航海を行い日本海まで進出して来ている。ボロジノ型戦艦は本艦を含め四隻(五隻目の「スラヴァ」は当時建造中)の姉妹艦全てがバルチック艦隊に所属していたが、日本海海戦にて他の三隻(「ボロジノ」[Бородино]、「インペラトール・アレクサンドル三世」[Император Александр III]、「クニャージ・スワロフ」[Князь Суворов])は戦没している。
 当艦は日本海海戦にて日本海軍に包囲され降伏したのでそのまま捕獲、戦後日本海軍へ編入され、第一次大戦やシベリア出兵などに参加しているが、ワシントン海軍条約締結により除籍廃艦となった。

戦艦 石見の歴史
「石見」「石見」=古い国名。現在の島根県西部を指す。戦国時代は
尼子・毛利両氏の争奪戦が繰り広げられた。
1900年 5月14日サンクトペテルブルクのガレールヌイ島造船所で起工
1902年 7月19日進水
1904年10月 1日竣工
      10月15日バルチック艦隊に所属し、リバウ軍港を出港。日本海を目指す
      10月21日北海にて日本軍艦艇と誤認した英国漁船を撃沈する(ドガー・バンク事件)
1905年 1月マダガスカル島シノベ湾へ到着するも、燃料(石炭)の補給が英国の圧力により停滞
二ヶ月ほど足止めさせられる
       3月17日マダガスカル島を出港
       4月25日カムラン湾に入港
       5月14日第三太平洋艦隊と合流し、カムラン湾を出港
       5月27日日本海海戦に参加
       5月28日日本海軍の艦隊に包囲され降伏。捕獲される
       6月 6日日本海軍に編入され、一等戦艦へ類別
1912年 8月28日一等海防艦へ類別変更
1914年10月〜青島攻略に参加
1918年〜シベリア出兵に際し、沿海州警備に従事
1920年〜カムチャッカ方面警備に従事
1922年 9月 1日除籍。後に武装を撤去される
1923年 5月 9日雑役船に類別。標的船となる
1924年 7月 9日廃船。標的艦として航空爆撃実験に使用され沈没


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