戦艦 壱岐

Battleship "Iki"
("Император Николай I"[Imperator Nikolai I])



壱岐
戦艦「壱岐」(1906年:Photo from Wikimedia Commons)
スペックデータ
排水量:(常)9,672t ボイラー:ベルビール罐・石炭専焼×16基 燃料搭載量:石炭 1200t
全長:101.6m
全幅:20.4m 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:7.8m
出力:8,000hp
武装(就役時):
30口径30.5cm連装砲1基、40口径15cm単装砲6基、
40口径12cm単装砲6基、40口径7.5cm単装砲6基、
47mm単装砲6基
最大速力:15.5kt
航続距離:10ktで4900浬
乗員定数:625名

同型艦名(1隻)
壱岐"Iki"

戦艦 壱岐について
 元はロシア海軍戦艦「インペラトール・ニコライT世」(Imperator Nikolai I)で、日露戦争開戦時はバルチック艦隊に所属していた。19世紀末にはロシア帝国最新鋭の装甲艦として、諸外国への訪問航海や紛争処理などの国際平和活動などに従事している。
 1905年にロシア第三太平洋艦隊旗艦として極東へ進出、翌年の日本海海戦へ参加したが、日本の連合艦隊に追いつめられ降伏。後に日本海軍に編入となり「壱岐」と命名された。
 すでに旧式化した艦であったため日本海軍での現役期間は10年と短く、除籍後は標的艦として実弾射撃の的となり沈没した。

戦艦 壱岐の歴史
「壱岐」「壱岐」=古い国名。現在の長崎県壱岐島。大化改新の際に朝鮮航路の
要衝として島司を置いたのが国としての起源である。
1886年 3月 8日サンクトペテルブルグのフランコ=ロシア工場(後のアドミラルティ工廠)にて起工
1889年 5月20日進水。翌年クロンシュタットへ回航され艤装を実施
1891年 5月13日ロシア海軍戦艦「インペラトール・ニコライT世」として竣工
1892年バルト海艦隊に所属
1893年ニューヨーク訪問および地中海方面への航海を実施
1897年クレタ島における紛争処理に参加
1901年極東方面への航海を実施
1902年バルト海へ帰還。近代化改修を実施
1904年11月 3日ロシア第三太平洋艦隊に所属しオデッサを出航、リバウへ向かう
1905年 2月 3日リバウ軍港を出港
       5月14日カムラン湾にて第二太平洋艦隊と合流、バルチック艦隊となり日本海を目指す
       5月27日日本海海戦に参加
       5月28日竹島沖で連合艦隊に追いつめられ降伏
       6月 6日戦利艦として日本海軍に編入。二等戦艦に類別
      12月12日一等海防艦へ類別変更
1906年佐世保工廠にて整備完了。艦隊に配備される
1915年 5月 1日除籍
      10月 3日標的艦として使用され、戦艦「金剛」「比叡」の砲撃により沈没
1922年解体される


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