富士型 戦艦

"Huji" Class Battleships


富士
戦艦「富士」(撮影時期不詳)
スペックデータ(【 】内は「八島」のもの)
排水量:(常)12,533t
    【(常)12,320t】
ボイラー:円罐・石炭専焼×10基 燃料搭載量:石炭1,117t
       【石炭:1,110t】
全長:114.0m【113.4m】
全幅:22.3m【22.5m】 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:8.1m【8.0m】
出力:13,500hp
武装(就役時):
40口径30.5cm連装砲2基、40口径15cm単装砲10基、
47mm単装砲24基、45cm魚雷発射管5門
最大速力:18.3kt
航続距離:10ktで7000浬
乗員定数:726名【741名】

同型艦名(2隻)
富士"Huji"八島"Yasima"

富士型戦艦について
 仮想敵国である清国は「定遠」「鎮遠」という二大戦艦を有していたが、日本海軍には戦艦(甲鉄艦)に類別されるものは旧式の「扶桑」(初代)しかないという状況はゆゆしき事であった。
 しかし大型艦である戦艦を建造する予算を海軍が要求しても議会で可決せず、特殊かつ(戦艦に比べて)安価な艦の「松島」型「吉野」などを建造するのが精一杯であった。だが日清戦争開戦の前年、またもや予算不足で戦艦建造が計画のみに終わってしまうのを危ぶんだ明治天皇が、宮廷費と公務員の俸禄の一割を今後6年間に渡って戦艦建造費に充てるという勅書(明治26年2月10日付け「在廷ノ臣僚及帝国議会ノ各員へ詔勅」)を出したので、やっと大型戦艦二隻を発注することができた。これが「富士」型である。
 この当時の最新鋭戦艦であるイギリスの「ロイヤル・サブリン」型に準じて設計されたが、一部にはイギリス海軍でもまだ計画段階である「マジェスティック」型も参考にしていた。主砲は装甲に覆われた最新鋭の40口径30.5センチ砲を装備、防御力も舷側装甲厚がそれまでの日本軍艦の約10倍である455ミリにも達しており、それでいて速力は「浪速」型巡洋艦と同程度の18ノットの高速を発揮する当時としては世界最高水準をいく戦艦であった。
 だが設計が終了し起工した時点で日清戦争は始まっており、目標としていた「定遠」型戦艦との対決は実現しなかった。
 それまでの日本海軍最大の軍艦は「吉野」の四千二百トンであっただけに、一万二千トンの「富士」型に対する期待は国を挙げて大きいものがあり、特に明治天皇は自らの節制により購入した戦艦であると愛着を持ち、1898年の艦隊行幸では御召艦として乗船したほどである。

富士型戦艦の歴史
「富士」「富士」=もちろん日本を代表する富士山からとった名前である。
富士山は標高3776mで現在の日本最高峰である。
1894年 8月 1日イギリスのテームズ社にて起工
1896年 3月21日進水
1897年 6月14日ヴィクトリア女王即位60周年記念観艦式に参加
       8月17日竣工。日本へ回航(横須賀到着は同年10月末)
1898年 3月21日一等戦艦に類別される
      11月19日常備艦隊観閲の際に御召艦となり明治天皇が乗船される
1904年第一艦隊第一戦隊に所属し、日露戦争に参加
       8月10日黄海海戦に参加
1905年 5月27日〜日本海海戦に参加
1911年 8月28日一等海防艦に類別
1913年運用術練習艦となる
1922年 9月 1日特務艦に類別変更。運送艦となる
     12月 1日練習巡洋艦に類別変更
1926年横須賀の吉浦海岸に繋留される
1934年〜推進機の撤去実施。海軍航海学校施設として使用される
1945年 7月18日米軍機の攻撃を受け大破着底
1945年11月30日除籍。48年解体
「八島」「八島」=我が日本の美称の一つ。八洲といわれることもある。
記紀にある国産み神話で産み出された八つの島々を指す。
1894年12月28日イギリスのアームストロング社にて起工
1896年 2月28日進水
1897年 9月 9日竣工。日本へ回航(横須賀到着は同年11月末)
1904年第一艦隊第一戦隊に所属し、日露戦争に参加
       2月旅順口攻撃、旅順港閉塞作戦に参加
       5月15日旅順港外にて触雷。総員退艦後に転覆沈没
1905年 6月15日除籍


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