戦艦 肥前

Battleship "Hizen"
("Ретвизан"[Retvizan])



肥前
戦艦「肥前」(撮影時期不詳)
スペックデータ
排水量:(常)12,700t ボイラー:ニクローズ罐・石炭専焼×24基 燃料搭載量:石炭 2000t
全長:113.5m
全幅:22.0m 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:7.55m
出力:16,000hp
武装(就役時):
40口径30.5cm連装砲2基、45口径15cm単装砲12基、
40口径7.5cm単装砲14基、47mm単装砲4基、
45cm魚雷発射管2門
最大速力:18.0kt
航続距離:10ktで8300浬
乗員定数:796名

同型艦名(1隻)
肥前"Hizen"

戦艦 肥前について
 元はロシア太平洋艦隊(第一太平洋艦隊)所属の戦艦「レトヴィザン」で、日露戦争開戦当時ロシア太平洋艦隊中最新の戦艦だった。当艦はアメリカで建造されたため同時代の最新鋭アメリカ海軍戦艦と同設計の艦でもあった。
 日本軍の攻撃により旅順港内に大破着底していたところを捕獲され、戦後修理の後日本海軍に編入となった。第一次大戦では太平洋方面で警備任務に従事しており、ハワイやアメリカ西海岸、メキシコ西岸沖まで進出している。またシベリア出兵に際しては護衛任務や沿海州の警備任務にも従事した。
 ちなみに当艦は、日本海軍創設から太平洋戦争敗戦により解体されるまでの歴史の中で唯一のアメリカ製戦艦である。

戦艦 肥前の歴史
「肥前」「肥前」=古い国名。現在の長崎県と佐賀県を合わせたもの。古くは火の国と
呼ばれていたが大化改新の際に肥前と肥後(現在の熊本県)に分かれた。
1898年12月アメリカのクランプ造船所にて起工
1900年10月23日進水
1901年10月竣工
1902年 3月25日ロシア海軍に就役
       6月14日バルト海へ回航中、シェルブール沖にてボイラー配管の破裂事故をおこす
      11月13日極東方面に配属のため、バルト海を出発
1903年 5月旅順港に到着
1904年ロシア太平洋艦隊に所属し、日露戦争に参加
       2月 9日日本海軍の旅順口攻撃で雷撃が命中、損傷浸水する。その後、港入り口にて座礁
       2月24日日本軍の旅順口閉塞作戦に際し、応戦を行う
       3月離礁に成功。旅順港内にて修理を実施(完了は同年6月)
       8月10日黄海海戦に参加
      12月 6日203高地を奪取した日本軍の砲撃により旅順港内で大破着底
1905年 1月 1日旅順陥落の際に日本軍に捕獲される
       5月〜浮揚作業を実施
       9月24日日本海軍に編入され、一等戦艦に類別
      11月〜佐世保工廠にて修理を実施(1908年11月修理完了)
1914年10月〜警備任務のため太平洋方面へ進出
1915年 2月ガラパゴス沖から本土へ帰還中、ボイラー配管の破裂事故をおこす
      12月〜インド洋などで護衛任務に従事
1918年〜シベリア出兵に際し、ウラジオストクに駐留して警備任務に従事
1921年 9月 1日一等海防艦へ類別変更
1922年 4月ワシントン海軍条約締結により武装解除となる
1923年 9月20日除籍
1924年 7月25日標的艦として使用され、豊後水道にて沈没


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2015,01,03(First Up 1998,09,05)