航空母艦 蒼龍(2代)

Aircraft Carrier "Souryuu(2)"


蒼龍
航空母艦「蒼龍」(1938年:Photo from Wikimedia Commons)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
蒼龍
第60号(2015.05.12)
航空母艦「蒼龍」1938年

スペックデータ
排水量:(公)18,800t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×8基 燃料搭載量:重油 3400t
全長:(水)222.0m
全幅:(船体)21.3m 主機:艦本式オールギヤードタービン×4基、4軸推進
吃水:7.62m
出力:152,000hp
武装:
40口径12.7cm連装高角砲6基、25mm連装機銃14基、
航空機57機(艦戦12、艦攻9、艦爆27、艦偵9)+補用16機
最大速力:34.5kt
航続距離:18ktで7680浬
乗員定数:1,100名 飛行甲板:216.9×26.0m、昇降機 2基

同型艦名(1隻)
蒼龍(2代)"Souryuu(2)"[Sôryû(2)]

航空母艦 蒼龍(2代)について

 軍縮条約(ワシントン・ロンドン両海軍条約)の締結により航空母艦の保有トン数を制限された日本海軍はその制限枠内で「鳳翔」「龍驤」「赤城」「加賀」の四隻の空母を建造保有してきた。この時点で残りの保有可能枠が12,630トンとなっていたが、一番古い「鳳翔」を廃艦とすることで実質的には21,000トンの枠があると考えていた。そこで日本海軍はこの枠を利用して10,500トンの中型空母二隻の建造を計画したのである。

 当初の海軍側の要求は「主砲20センチ×5門、高角砲12.7センチ×20門、対空機銃40基、艦載機100機、速力36ノット」という過大な物であったため中型空母として設計することが不可能であった。そのために要目を検討し直して設計を開始し、1934年に建造に着手する予定であった。だが建造着手直前に友鶴事件が発生し設計の見直しが行われた結果、この設計も船体重心が高く安定性に欠けるとして再度設計をやり直すことになり、主砲を廃止し排水量も増やされ大幅に設計をやり直した結果「蒼龍」は航空機の運用一本に絞った使い勝手の良い航空母艦として完成した。

 本艦は日華事変から太平洋戦争緒戦にかけては機動部隊の中核として活躍したが、運命のミッドウェイ海戦で米軍機の攻撃を受け大破、その後味方駆逐艦により雷撃処分となってしまった(雷撃処分ではなく、火災の後に爆沈したとの異説もある)。

 余談であるがこの「蒼龍」の艦名は二代目で、明治5年に竣工した内海用御召船「蒼竜」が初代であるが、初代艦は「そうりょう」と発音した。

航空母艦 蒼龍の歴史
「蒼龍」(2代)「蒼龍」=漢成語の名称。深青色の竜をイメージして名付けられた。
1934年11月20日呉工廠にて起工
1935年12月23日進水
1937年12月29日竣工
1938年 4月〜第二航空戦隊に所属し、日華事変に参加。広東攻略戦等に従事
1940年 9月〜仏印進駐作戦を支援
1941年 2月〜援蒋ルート封鎖を支援
     11月23日〜連合艦隊機動部隊に所属し、太平洋戦争に参加。真珠湾攻撃に従事
     12月21日〜ウェーキ島攻撃の支援任務に従事
1942年 1月17日〜パラオに進出。アンボン攻撃、ポートダーウィン攻撃等に従事
      4月 5日〜インド洋海戦に参加。英重巡・航空母艦等を撃沈
      6月 5日ミッドウェイ海戦にて米軍機の攻撃を受け大破、沈没
      8月10日除籍


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2015,04,18(First Up 1998,09,13)