翔鶴(3代)型 航空母艦

"Syoukaku(3)" Class Aircraft Carriers


翔鶴
航空母艦「翔鶴」(1941年)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
翔鶴
第14号(2013.08.06)
航空母艦「翔鶴」1942年
瑞鶴
第63号(2015.06.23)
航空母艦「瑞鶴」1941年

スペックデータ
排水量:(公)29,800t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×8基 燃料搭載量:重油 5000t
全長:(水)250.0m
全幅:(船体)26.0m 主機:艦本式オールギヤードタービン×4基、4軸推進
吃水:8.87m
出力:160,000hp
武装:
40口径12.7cm連装高角砲8基、25mm3連装機銃12基
飛行機72機(艦戦18、艦攻27、艦爆27)+補用12機
最大速力:34.2kt
航続距離:18ktで9700浬
乗員定数:1,660名 飛行甲板:242.2×29.0m、昇降機 3基

同型艦名(2隻)
翔鶴(3代)"Syoukaku(3)"[Syôkaku(3)]瑞鶴"Zuikaku"

翔鶴(3代)型航空母艦について
 軍縮条約期限明けの1937年度の第三次補充計画(マル3計画)で計画された大型空母。当初は「飛龍」の拡大改良版ということで設計も「飛龍」に準じたものであったが、過去の「赤城」や「飛龍」の運用実績から、左舷艦橋では不具合があると判明したため艦橋は右舷に設置された。航空母艦に必要な高速性能を得るため「大和」型戦艦より大出力の機関を搭載することで、34ノットという高速を発揮することができた。航空機格納庫も拡大したため搭載機数は70機を超えている。
 軍縮条約の制限もなくなり日本の空母造船技術の粋を集めて建造された「翔鶴」「瑞鶴」は、太平洋戦争開戦当時の世界最強空母といっても過言ではないだろう。
 太平洋戦争ではミッドウェイで四隻の空母を失った日本海軍にとっては戦争中盤以降文字通り主力空母となり、ミッドウェイの戦訓から航空機用ガソリンタンクをコンクリートで囲うなどの対策が施されたが、当時の日本の技術では完全にガソリンの漏洩を防ぐことはできず、「翔鶴」「瑞鶴」とも攻撃被害から派生したガソリンの爆発・火災により戦没した。
 なお、「瑞鶴」は数多くの海戦に参加しながら1944年のマリアナ海戦まで一発の命中弾も受けなかった幸運艦であった。

翔鶴(3代)型航空母艦の歴史
「翔鶴」(3代)「翔鶴」=漢成語の名称。「天を翔ける鶴」の意味である。
1937年12月12日横須賀工廠にて起工
1939年 6月 1日進水
1941年 8月 8日竣工
     12月 8日機動部隊第五航空戦隊に所属し、真珠湾攻撃に参加
1942年 1月20日ラバウル攻撃に参加
      4月 5日セイロン島コロンボ攻撃に参加
      4月 9日セイロン島ツリンコマリー攻撃に参加。英空母「ハーミス」を撃沈(セイロン沖海戦)
      5月 7日珊瑚海海戦に参加。米油送船「ネオショー」、米駆「シムス」撃沈
      5月 8日米空母「レキシントン」 「ヨークタウン」を攻撃。敵機の攻撃を受け中破
      5月17日呉に帰還。修理・改修を実施
      8月24日第二次ソロモン海戦に参加
     10月26日南太平洋海戦に参加。米空母「ホーネット」「エンタープライズ」を撃破するも
敵航空機の攻撃を受け大破。本土帰還後に修理を実施
1943年11月 1日ろ号作戦のため搭載機をラバウルへ派遣
1944年 6月19日マリアナ沖海戦に参加。米潜水艦「カヴァラ」の雷撃を受け沈没
1945年 8月20日除籍
「瑞鶴」「瑞鶴」=漢成語の名称。瑞はめでたいの意であり、
めでたい鳥とされる鶴に冠してさらにめでたい名前となっている。
1938年 5月25日川崎重工神戸にて起工
1939年11月27日進水
1941年 9月25日竣工
     12月 8日機動部隊第五航空戦隊に所属し、真珠湾攻撃に参加
1942年 1月20日ラバウル攻撃に参加
      4月 5日セイロン島コロンボ攻撃に参加
      4月 9日セイロン島ツリンコマリー攻撃に参加。英空母「ハーミス」を撃沈(セイロン沖海戦)
      5月 7日珊瑚海海戦に参加。米油送船「ネオショー」、米駆「シムス」撃沈
      5月 8日米空母「ヨークタウン」を攻撃
      8月24日第二次ソロモン海戦に参加
     10月26日南太平洋海戦に参加。米空母「ホーネット」「エンタープライズ」を攻撃
1943年 1月23日ガダルカナル撤収作戦に協力
      4月 2日い号作戦のため搭載機をラバウル・カビエンに派遣
     11月ろ号作戦のため搭載機をラバウルへ派遣
1944年 6月19日マリアナ沖海戦に参加
      6月20日敵機の攻撃を受け飛行甲板・艦橋を小破
     10月25日比島沖海戦に参加。敵機の攻撃を受け沈没(エンガノ岬沖海戦)
1945年 8月26日除籍


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