祥鳳型 航空母艦

"Syouhou" Class Aircraft Carriers


祥鳳
航空母艦「祥鳳」(1941年頃)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
瑞鳳
第29号(2014.03.04)
航空母艦「瑞鳳」1944年
祥鳳
第80号(2016.02.16)
航空母艦「祥鳳」1942年

スペックデータ
排水量:(公)13,100t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×4基 燃料搭載量:重油 2320t
全長:(水)201.43m
全幅:(船体)18.00m 主機:艦本式オールギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:6.64m
出力:52,000hp
武装:
40口径12.7cm連装高角砲4基、25mm3連装機銃4基(「瑞鳳」は最終的に、
25mm3連装機銃16基、同単装機銃20基へ増強、12cm28連装対空噴進砲
6基を追加)、飛行機27機(艦戦21、艦攻6)+補用7機
最大速力:28.0kt
航続距離:18ktで7800浬
乗員定数:785名
(「瑞鳳」は792名)
飛行甲板:180.0(「瑞鳳」は192.6mに延長)×23.0m、昇降機 2基

同型艦名(2隻)
祥鳳"Syouhou"[Syôhô]瑞鳳"Zuihou"[Zuihô]

祥鳳型航空母艦について
 軍縮条約で航空母艦の保有量を制限されたため、日本海軍は苦肉の策として条約制限外の船を戦時になったときに航空母艦へ改装できるように設計・建造することにした。1934(昭和9)年度の第二次補充計画で高速給油艦として計画された 「剣埼」型もその一つである。
 しかし、「剣埼」型一番艦の「剣埼」を建造中に日本が軍縮条約から脱退したことで、航空母艦転用時に必要な装備をより多く搭載するよう設計変更されたために油送量が減り、給油艦として使用するには能力不足となってしまった。そこで「剣埼」は潜水母艦として完成させることに変更された。同じく二番艦「高崎」も完成後の状態を潜水母艦に変更され、さらに建造中に方針が変わり最終的には航空母艦「瑞鳳」として完成されている。
 「剣埼」も潜水母艦として完成したものの航空戦力の増強のために航空母艦に改装されることになり、一年の期間をかけて航空母艦「祥鳳」に改装されている。
 「祥鳳」型は戦時に航空母艦転用を考えて設計されたにもかかわらず、改装に一年もの長い歳月がかかってしまったのは不調のディーゼル機関を通常のボイラーに変更したためである。(予定では三ヶ月で改装できるはずだった)

祥鳳型航空母艦の歴史
「祥鳳」「祥鳳」=漢成語の名称。「祥」は幸(さち)を、「鳳」は鳳凰を表す。
1934年12月 3日横須賀工廠にて高速給油艦「剣埼」として起工
1935年 6月 1日進水
1938年 9月建造途中に高速給油艦から潜水母艦へ艦種を変更
潜水母艦への改修工事に着手
1939年 1月15日潜水母艦「剣埼」として竣工
1940年11月15日横須賀工廠にて航空母艦への改装に着手
1941年12月22日改装工事終了。航空母艦「祥鳳」と改名
1942年 2月〜トラック方面へ進出。同年4月モレスビー攻略に参加
      5月 7日珊瑚海海戦に参加。敵機の攻撃を受け沈没
      5月20日除籍
「瑞鳳」「瑞鳳」=漢成語の名称。「瑞」は「めでたい」の意があり、「鳳」は鳳凰を表している。
1935年 6月20日横須賀工廠にて高速給油艦「高崎」として起工
1936年 6月19日進水
1938年建造途中に潜水母艦へ艦種を変更
1940年 1月更に航空母艦へ艦種を変更
     12月27日航空母艦「瑞鳳」として竣工
1941年12月〜第一航空艦隊に所属し、真珠湾攻撃部隊の護衛任務に従事
1942年 5月〜ミッドウェー攻略部隊として作戦に参加
      9月 1日〜トラック方面へ進出
     10月26日南太平洋海戦に参加。敵爆撃により中破
     11月修理のため本土へ帰還(修理完了は12月)
1943年 1月〜ガダルカナル撤退を支援
      5月飛行甲板延長、対空火器増強、対空レーダー(21号電探)搭載工事を実施
      9月〜マーシャル諸島方面への哨戒・攻撃任務に従事
     11月〜本土〜前線間の航空機輸送任務に従事
1944年 2月対空火器の増強工事を実施
1944年 5月16日〜タウイタウイ進出。同年6月マリアナ沖海戦に参加
     10月25日比島沖海戦に参加。敵機の攻撃を受け沈没(エンガノ岬沖海戦)
     12月10日除籍


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2014,06,09(First Up 1998,12,19)