航空母艦 龍驤(2代)

Aircraft Carrier "Ryuuzyou(2)"


龍驤
航空母艦「龍驤」(1934年頃)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
龍驤
第23号(2013.12.10)
航空母艦「龍驤」1933年

スペックデータ(竣工時)
排水量:(公)10,150t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×6基 燃料搭載量:重油 2943t
全長:(水)175.39m
全幅:(船体)20.32m 主機:艦本式オールギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:5.56m
出力:65,000hp
武装:
40口径12.7cm連装高角砲6基、13mm4連装機銃6基、
航空機36機(艦戦12、艦攻24)+補用12機
最大速力:29.0kt
航続距離:14ktで10000浬
乗員定数:924名 飛行甲板:156.5×23.0m、昇降機 2基
スペックデータ(性能改善工事(昭和11年)後)
排水量:(公)12,732t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×6基 燃料搭載量:重油 2943t
全長:(水)176.62m
全幅:(船体)20.78m 主機:艦本式オールギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:7.08m
出力:65,000hp
武装:
40口径12.7cm連装高角砲6基、25mm連装機銃2基、
13mm4連装機銃6基(大戦中に13mm機銃を撤去し25mm3連装機銃
6基へ換装した)、航空機36機(艦戦12、艦攻24)+補用12機
最大速力:29.0kt
航続距離:14ktで10000浬
乗員定数:924名 飛行甲板:156.5×23.0m、昇降機 2基

同型艦名(1隻)
龍驤(2代)"Ryuuzyou(2)"[Ryûzyô(2)]

航空母艦 龍驤(2代)について

 ワシントン海軍条約の規定では排水量一万トン未満の航空母艦は建造制限の対象外となっていた。そこで日本海軍は制限外の小型空母を建造して戦力の増強をはかろうとし、建造が開始されたのが「龍驤」である。「龍驤」は「鳳翔」の改良型として設計され、当初の設計では排水量9,800トンであった。
 しかし、その後のロンドン海軍条約で一万トン未満の航空母艦の保有も制限されてしまったため、小型空母を建造するメリットは無くなってしまい、それならば造る以上は性能の高いものをということで計画を変更して航空機搭載量を増加させたため排水量は一万トンを超えることになった。だが、すでに建造に着手していたために船体自体を大きくすることはできなかったので、格納庫を船体いっぱいに広げて二段にして搭載機数を増やしている。これにより艦の重心が高くなり安定性に問題が出たため、舷側のバルジ(ふくらみ)を大型化し、艦底にバラストキールを装着するなどの工夫がなされているが、それでも旋回時には異常なほど船体が傾くのでバラストの代わりに艦底の重油タンクの燃料を使用せずに常に保持しておくという措置が取られている。なお竣工直後に第四艦隊事件が起き、「龍驤」も艦首部が破損したために強度を増すための改装などが行われた。

 太平洋戦争では開戦前に熟練の搭乗員達を真珠湾攻撃の主力部隊に引き抜かれており、旧式な艦載機と未熟な搭乗員で南方作戦唯一の航空母艦として開戦直後の攻略作戦に参加、フィリピン攻略やマレー作戦、スラバヤ沖海戦、ビルマ攻略などで活躍し、その後は一転北方戦線でのアリューシャン攻略などに従事した。アリューシャン攻略の際、当艦所属の零戦が不時着して米軍に捕獲されており、この機体によって米軍の対零戦戦術研究が行われている。

 ちなみに、最初に「龍驤」の名を冠したのは明治二年に竣工した熊本藩発注のコルベット艦で、翌明治三年に明治政府へ献上されている。当時の日本海軍最大艦(排水量2,530トン)であった。

航空母艦 龍驤の歴史
「龍驤」(2代)「龍驤」=漢成語の名称。驤という字の訓読みは「あがる」であり、
龍が天高く昇っていく様をイメージして名付けられた。
1929年11月26日横須賀孝昭にて起工
1931年 4月 2日進水
1933年 5月 9日就役(竣工は同年4月1日)
1934年 5月〜復原性能の改善、煙突の湾曲化などの改修を実施(同年8月完了)
1935年 9月26日演習中に暴風雨に遭遇。艦首および艦橋を大破(第四艦隊事件)
      10月11日〜破損個所の修理及び補強、飛行甲板幅の拡大工事を行う(翌年5月完了)
1937年 8月〜空母「鳳翔」とともに第一航空戦隊を編成。日華事変に参加
1939年11月〜特別任務艦に指定。着艦訓練の練習艦として使用される
      12月〜改装工事により飛行甲板の幅が元に戻される(翌年1月完了)
1941年 7月〜消磁装置の設置が行われる(同年10月完了)
      12月 5日〜フィリピン方面部隊に所属し、太平洋戦争に参加。ダバオ攻撃等に参加
1942年 1月〜アナンバス攻撃、パレンバン攻略作戦等に参加
       2月17日搭載機がバンカ島南方にて蘭駆「ヴァン・ネス」撃沈に寄与
       3月 1日搭載機がスラバヤ沖にて米駆「ポープ」撃沈に寄与
       4月〜インド洋に進出。ビルマ攻略作戦、連合軍船団攻撃などに参加
       5月26日〜アリューシャン攻略作戦に参加。ダッチハーバーを攻撃
       6月 4日当艦を出撃した零戦がアリューシャン列島アクタン島へ不時着(操縦士は死亡)
機体は後に米軍に捕獲され、零戦の弱点究明に利用された
       8月24日第二次ソロモン海戦にて米軍機の攻撃を受け大破。沈没
      11月10日除籍


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