航空母艦 加賀

Aircraft Carrier "Kaga"


加賀(三段式甲板時代)
航空母艦「加賀」(1930年頃:三段飛行甲板時)
加賀
航空母艦「加賀」(1936年:全通甲板改修後)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
加賀
第10号(2013.06.11)
航空母艦「加賀」1932年

スペックデータ(竣工時)
排水量:(公)33,693t ボイラー:ロ号艦本式・重油専焼×12基 燃料搭載量:重油 5300t
全長:(水)230.0m
全幅:(船体)29.6m 主機:ブラウン・カーチス式オールギヤードタービン×4基、4軸推進
吃水:7.93m
出力:91,000hp
武装:
50口径20cm連装砲2基、50口径20cm単装砲6基、
45口径12cm連装高角砲6基、
航空機60機(艦戦16、艦攻28、艦偵16)
最大速力:27.5kt
航続距離:14ktで8000浬
乗員定数:1,269名 飛行甲板:171.2×30.5m(上部甲板)、昇降機 2基
スペックデータ(最終改装(昭和10年)後)
排水量:(公)42,500t ボイラー:ロ号艦本式・重油専焼×8基 燃料搭載量:重油 7500t
全長:(水)240.3m
全幅:(船体)32.5m 主機:ブラウン・カーチス式オールギヤードタービン×2基、
    艦本式オールギヤードタービン×2基、4軸推進
吃水:9.48m
出力:125,000hp
武装:
50口径20cm単装砲10基、45口径12.7cm連装高角砲8基、
25mm連装機銃11基
航空機72機(艦戦12、艦攻36、艦爆24)+補用18機
最大速力:28.3kt
航続距離:16ktで10000浬
乗員定数:約2,000名 飛行甲板:248.6×30.5m、昇降機 3基

同型艦名(1隻)
加賀"Kaga"

航空母艦 加賀について
 ワシントン条約の締結に従い、建造中であった戦艦「加賀」型を廃棄することになった日本海軍であったが、関東大震災のため航空母艦に改造中だった「天城」が破損、改造不可能になったために代艦として「加賀」を航空母艦に改造することにした。
 「加賀」も「天城」型と同様に三段の飛行甲板を持つ空母として建造する事になったが、煙突の形式は「赤城」と比較するために異なった形式を採用した。「加賀」では英海軍空母「アーガス」が採用している方式と同様の舷側から艦尾まで延長した長大な煙突による艦尾への排煙方式をとっている。
 しかし「赤城」と同様に運用開始後は三段式飛行甲板は使い物にならなかったので、後に一段の飛行甲板に改造されており、また排煙方式も煙突の側の区画の室温が40度近くまで上昇するなどの不具合が起きたので「赤城」と同様な煙突に改装され、同時に速力を増すために機関の出力も増大させてもいる。
 上海事変では当艦搭載の機体が日本海軍艦上機初の空中戦を行ったり、太平洋戦争緒戦でも真珠湾攻撃に向かった機動部隊の中心として活躍したが、一大転換点であったミッドウェイ海戦にて戦没してしまった。

航空母艦 加賀の歴史
「加賀」「加賀」=古い国名。現在の石川県南部を指す。金沢平野を
中心とした地域で、前田候百万石の領地である。
1921年11月17日神戸川崎造船所にて進水
1922年 7月ワシントン条約締結により未完成のまま海軍に引き渡し
1923年11月11日関東大震災で損傷した「天城」の代艦として空母に改装する事が決定
      12月13日〜横須賀工廠にて空母改装に着手
1928年 3月31日竣工
1932年上海事変にて「加賀」から発艦した三式艦戦が日本海軍艦載機初の空戦を行う
1934年 6月25日〜全通式飛行甲板への大改装工事に着手
1941年12月 8日〜連合艦隊主力部隊に所属し、太平洋戦争に参加。真珠湾攻撃作戦に従事
1942年 2月 9日パラオにて座礁。破損のため速力が低下したが作戦行動に従事
       2月15日〜オーストラリアのダーウィン空襲に出撃。19日に空襲を実施
       3月 5日〜ジャワ攻略部隊を支援。3月下旬に修理のため佐世保へ帰還
       5月 4日修理完了。同月27日ミッドウェイ攻略に向け出撃
       6月 5日ミッドウェイ海戦にて米軍機の攻撃を受け大破、沈没
       8月10日除籍


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