隼鷹型 航空母艦

"Zyun'you" Class Aircraft Carriers


隼鷹
航空母艦「隼鷹」(1945年)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
隼鷹
第50号(2014.12.23)
航空母艦「隼鷹」1944年

スペックデータ
排水量:(公)27,500t ボイラー:三菱水管罐・重油専焼6基
   (「飛鷹」は川崎ラモント罐・重油専焼×6基)
燃料搭載量:重油 4100t
全長:(水)215.30m
全幅:(船体)26.70m 主機:三菱ツェリー式オールギヤードタービン×2基、2軸推進
   (「飛鷹」は川崎式オールギヤードタービン×2基、2軸推進)
吃水:8.15m
出力:56,250hp
武装:
40口径12.7cm連装高角砲6基、60口径25mm連装機銃8基(最終的に91門
(3連装19基、連装2基、単装30基)まで増設(「隼鷹」のデータ))、
飛行機48機(艦戦12、艦攻18、艦爆18)+補用5機
最大速力:25.5kt
航続距離:18ktで10000浬
乗員定数:1,187名 飛行甲板:210.3×27.3m、昇降機 2基

同型艦名(2隻)
隼鷹"Zyun'you"[Zyun'yô]飛鷹"Hiyou"[Hiyô]

隼鷹型航空母艦について
 軍縮条約で航空母艦の保有数を制限された日本海軍は民間の旅客船等を戦時の際には短期間の改装で航空母艦へ転用することを考えた。そこで1937(昭和12)年に日本政府は戦時の際には航空母艦へ改装することを前提に、各民間企業に対して排水量6000総トン以上・速力19ノット以上の旅客船・貨物船・タンカー建造を行う場合は最大6割の建造費助成金を出すことにした。
 その助成金制度を利用して建造された船の中に、日本郵船所属の「橿原丸」と「出雲丸」があった。この2隻は1940(昭和15)年の東京オリンピック開催の際に太平洋航路へ就航することを目指して建造が開始された当時の日本旅客船史上最大の超大型豪華旅客船であった。
 しかし、建造途中の1940年10月に米海軍の航空母艦増強策に対抗するために日本海軍が「橿原丸」「出雲丸」の航空母艦改装を決定し買収したため、旅客船としては完成しなかった。
 航空母艦として完成した2隻はそれぞれ「橿原丸」が「隼鷹」、「出雲丸」が「飛鷹」と命名された。日本空母初の艦橋と一体となった傾斜煙突を採用したほか、徹底的に航空母艦装備への改装を施されたために元の旅客船への復元は不可能となったが、そのおかげで航空母艦としての性能は速力以外は正規空母である「飛龍」に匹敵するものを示し、完成後は正規空母と同等の扱いを受け戦歴も正規空母以上のものがあった。
 なお、海軍購入後の仮称名称の順番から、資料によっては当クラスを「飛鷹型」としているものもあるが、海軍公式では「隼鷹」をネームシップとした「隼鷹型」とされている。

隼鷹型航空母艦の歴史
「隼鷹」「隼鷹」=鳥の名前。隼の意である。
1939年 3月20日日本郵船所属の旅客船「橿原丸」として長崎三菱造船所にて起工
1940年10月建造中に航空母艦への改装が決定
1941年 2月日本政府が正式に買収。仮称「第一〇〇二番艦」として航空母艦への改装工事開始
      6月26日進水
1942年 5月 3日航空母艦として竣工。「隼鷹」と改名
      6月 3日ダッチハーバー攻撃に参加
     10月17日ガダルカナル島攻撃に参加
     10月26日南太平洋海戦に参加。搭載機が米空母「エンタープライズ」「ホーネット」を攻撃
     12月〜ガダルカナル撤退を支援
1943年 4月 1日い号作戦のため搭載機をラバウルへ派遣
      6月22日搭載機をルオットへ派遣
      7月15日搭載機をラバウル・カビエンへ派遣
     11月 5日沖ノ島沖で米潜水艦「ハリバット」の雷撃を受け損傷
1944年 6月19日マリアナ沖海戦に参加。
翌20日敵機の攻撃を受け損傷、艦載機の離発着不可能となる
     12月 9日女島付近にて米潜水艦「レッドフィッシュ」の雷撃を受け損傷
     12月〜佐世保工廠にて修理を実施。
修理は翌年3月に中止となり佐世保湾に放置される
1945年 8月15日佐世保にて終戦を迎える。同年11月30日除籍
1946年 6月〜解体処分となる
「飛鷹」「飛鷹」=漢成語の名称。空を飛ぶ鷹をイメージして名付けられた。
1939年11月30日日本郵船所属の旅客船「出雲丸」として川崎重工神戸にて起工
1940年10月建造中に航空母艦への改装が決定
1941年 2月日本政府が正式に買収。仮称「第一〇〇一番艦」として航空母艦への改装工事開始
      6月24日進水
1942年 7月31日航空母艦として竣工。「飛鷹」と改名
     10月20日ソロモン東方にて機関故障。そのため南太平洋海戦には参加できず
1943年 4月 1日い号作戦のため搭載機をラバウルへ派遣
      6月10日三宅島付近で米潜水艦「スカルピン」の雷撃を受け損傷
(雷撃は米潜「トリガー」のものとする説もある)
     12月29日搭載機をカビエンに派遣
1944年 6月19日マリアナ沖海戦に参加。翌20日敵機の攻撃を受け沈没
     11月10日除籍


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