航空母艦 鳳翔(2代)

Aircraft Carrier "Housyou(2)"


鳳翔

鳳翔
空母「鳳翔」(上段:1922年公試時/下段:1924年改修後(Photo from Wikimedia Commons))

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
鳳翔
第44号(2014.09.30)
航空母艦「鳳翔」1944年

スペックデータ(就役時)
排水量:(常)9,449t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×4基
   ロ号艦本式罐・石炭重油混焼×4基
燃料搭載量:石炭  940t
        重油 2700t
全長:(水)166.0m
全幅:(船体)18.0m 主機:パーソンス式オールギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:6.17m
出力:30,000hp
武装:
50口径14cm単装砲4基、40口径8cm単装高角砲2基、
航空機15機(艦戦6、艦攻9)+補用6機
最大速力:25.0kt
航続距離:14ktで10000浬
乗員定数:550名 飛行甲板:158.2×22.7m、昇降機 2基
スペックデータ(最終改装(昭和19年)後)
排水量:(公)約10,500t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×8基 燃料搭載量:不明
全長:(水)165.0m
全幅:(船体)18.0m 主機:パーソンス式オールギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:6.20m
出力:30,000hp
武装:
25mm連装機銃8基(その後15基まで増強されるが、終戦直前に3基へ減)、13.2mm連装機銃6基、
搭載航空機なし(発着艦訓練用として使用)
最大速力:25.0kt
航続距離:14ktで10000浬
乗員定数:不明 飛行甲板:180.8×22.7m、昇降機 2基

同型艦名(1隻)
鳳翔(2代)"Housyou(2)"[Hôsyô(2)]

航空母艦 鳳翔について
 イギリスで1917年に完成した 「フューリアス」(世界初の陸上機が発着艦できる空母)や1918年完成の「アーガス」(世界初の 全通平甲板空母)を見た日本海軍は航空母艦の建造に乗り出すことにした。そこで1918年の八六艦隊計画で小型航空母艦として建造計画されたのが当艦「鳳翔」である。
 当初は陸上機と水上機の混載型母艦として計画されていたが、「アーガス」の実用性から全通式の飛行甲板を持った陸上機用の航空母艦として建造開始された。建造時には航空母艦という艦種は無かったため特務艦として類別されており、また当時の主要な造船所は八八艦隊の主力艦を建造に従事していたので船体は浅野造船(の鶴見造船所)で建造され、進水後に横須賀工廠にて艤装が行われている。
 こうして1922年12月に竣工した「鳳翔」であるが、イギリスの「フューリアス」も「アーガス」も他艦種からの改造型であったために、「鳳翔」は最初から航空母艦として完成した世界初の艦という栄誉を担う事になったのである。
 それまで建造実績のない航空母艦という艦であったために完成後も試行錯誤が繰り返され、竣工時には甲板上にあった艦橋を取りやめ前部甲板下に移したり、前方に向かって軽く傾斜していた甲板を水平にするなどの改装工事が後に行われている。
 太平洋戦争では旧式化していたため主に瀬戸内海などで訓練用として使用されたので戦禍を免れており、終戦まで生き残った日本初の空母は戦後武装解除ののち復員船として使用され、約四万人の復員兵や民間人を本土へ運んだ後、昭和22年に解体処分されている。

航空母艦 鳳翔の歴史
「鳳翔」(2代)「鳳翔」=漢成語の名称。鳳凰が羽を広げて天を翔けるイメージで名付けられた。
1919年12月16日浅野造船鶴見造船所にて起工
1921年11月13日進水。翌年1月に横須賀工廠へ回航し艤装工事開始
1922年12月27日竣工
1923年 2月22日イギリス人パイロットのジョルダン大尉が初めての着艦に成功
       3月16日(3月5日説あり)吉良俊一大尉が日本人初の着艦に成功
1924年甲板上の艦橋を撤去する工事を行う
1928年 4月空母「赤城」と共に第一航空戦隊を編成する
1932年 1月上海事変の支援のため空母「加賀」と共に中国方面へ進出
       2月 6日艦載の一三式艦攻が南京政府軍の航空機を撃墜(日本の艦載機初の撃墜)
1935年 9月26日演習中に暴風雨のため飛行甲板前部が破損(第四艦隊事件)
      11月〜修理に際して対空兵装・ボイラーの換装、煙突部改修を実施(完了は翌年3月)
1937年 8月日華事変に参加。中国沿岸部に進出
      10月空母「龍驤」に艦載機を移し、本土へ帰還。帰還後は訓練用として使用される
      12月予備役艦となる
1940年10月対空兵装の換装を実施
1941年 8月現役へ復帰。第三航空戦隊に所属
1941年12月 1日〜太平洋戦争に参加。第一戦隊の直掩として真珠湾攻撃の支援に参加
1942年 6月戦艦部隊の直掩としてミッドウェイ作戦に参加
       7月第三艦隊に転属
      10月20日〜訓練用空母として瀬戸内海で使用される
1944年 3月〜飛行甲板拡大、対空兵装増強の工事を行う(完了は同年7月)
1945年着艦訓練だけでなく、雷撃訓練の標的艦としても使用される
       3月19日広島湾にて米軍機の攻撃を受け損傷を負う
       5月呉周辺沿岸部に投錨。翌月特別警備艦となり対空砲台として使用される
       7月24日米軍機の呉軍港空襲に際し、爆撃を受け軽微な損傷を負う
       7月末門司へ移動。終戦まで門司へ留まる
       8月終戦のため、進駐軍管理下となる
      10月 5日除籍。改修実施後、復員船として使用される
1946年 8月末〜日立造船桜島工場にて解体開始。翌年5月解体終了


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