航空母艦 飛龍(2代)

Aircraft Carrier "Hiryuu(2)"


飛龍
航空母艦「飛龍」(1942年頃)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
飛龍
第35号(2014.05.27)
航空母艦「飛龍」1942年

スペックデータ
排水量:(公)20,165t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×8基 燃料搭載量:重油 3750t
全長:(水)222.0m
全幅:(船体)22.32m 主機:艦本式オールギヤードタービン×4基、4軸推進
吃水:7.74m
出力:153,000hp
武装:
40口径12.7cm連装高角砲6基、25mm3連装機銃7基、
25mm連装機銃5基、
飛行機57機(艦戦12、艦攻9、艦爆27、艦偵9)+補用16機
最大速力:34.59kt
航続距離:18ktで7670浬
乗員定数:1,101名 飛行甲板:216.9×27.0m、昇降機 2基

同型艦名(1隻)
飛龍(2代)"Hiryuu(2)"[Hiryû(2)]

航空母艦 飛龍(2代)について
 空母「蒼龍」の建造に引き続き、二番艦の「飛龍」の建造が開始されるはずであったが、「蒼龍」の建造着手が度重なる設計変更で遅れたために「飛龍」の建造開始も遅れ、「飛龍」の完成は軍縮条約の期限が開けた後になることが明らかになってきた。そこで、基本設計は「蒼龍」に準ずるものの保有制限にとらわれる必要が無くなったため、余裕を持った設計を施すことができるようになった。
 「蒼龍」からの改良点としては飛行甲板の幅を1メートルほど広げたことと、艦橋の位置を後ろに下げ船体中央部左舷に移し高さを一段高くしたこと、それに航行性を上げるために艦首部甲板も一層高くなっている。また排水量制限のため不足しがちだった船体強度も高められた。
 特に左舷に配置された艦橋は、右舷に配置された煙突と逆位置に艦橋を置くことで艦のバランスや煤煙問題を解決できる手段として期待されたが、実際には艦尾方向への気流を乱してしまうことや、レシプロ機特有のプロペラトルクにより艦載機が滑走中に左舷方向へ振られるために左舷艦橋は邪魔になることなどから、以後に日本海軍で建造される空母はすべて右舷に艦橋が設置され、「赤城」と当艦しか左舷に艦橋のある航空母艦は無い。
 1942年のミッドウェイ海戦では機動部隊の三隻の空母「赤城」「加賀」「蒼龍」が大破炎上した後も戦闘を続け、米海軍の空母「ヨークタウン」を大破させているが、「飛龍」も米軍機の攻撃を受け大破(後に味方艦により自沈処分)している。
 この艦名「飛龍」は二代目で、初代は慶応元年(1865)に小倉藩がイギリス人から購入、後に明治政府が接収した輸送船である。初代艦名は「ひりょう」と発音した。

航空母艦 飛龍の歴史
「飛龍」(2代)「飛龍」=漢成語の名称。空を飛ぶ竜をイメージして名付けられた。
1936年 7月 8日横須賀工廠にて起工
1937年11月15日進水
1939年 7月 5日竣工
1940年 3月〜第二航空戦隊に所属し、南支方面支援に参加
      9月〜北部仏印進駐作戦に参加
1941年 7月〜南部仏印進駐作戦に参加
     12月 8日〜連合艦隊機動部隊に所属し、太平洋戦争に参加。真珠湾攻撃に従事
     12月21日〜「蒼龍」と共にウェーキ島攻撃支援任務に従事
1942年 1月23日モルッカ諸島アンボン(蘭領)を爆撃
      2月19日ポートダーウィン(濠州)を爆撃
      3月 1日ジャワ島攻略作戦を支援中、米給油艦「ペコス」および米駆「エドサル」を撃沈
(艦艇と共同)
      3月 5日ジャワ島チラチャップを爆撃
      4月 5日インド洋作戦に参加。セイロン島コロンボを爆撃
同日英重巡「コーンウォール」「ドーセットシャー」を撃沈(他艦艦載機と共同)
      4月 9日セイロン島トリンコマリーを爆撃。セイロン沖海戦に参加
英空母「ハーミス」などを撃沈(他艦艦載機と共同)
      6月 5日ミッドウェイ海戦にて米軍機の攻撃を受け大破。翌日味方駆逐艦により自沈処分
      9月25日除籍


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