天城(2代)型 航空母艦

"Amagi(2)" Class Aircraft Carriers


赤城
航空母艦「赤城」(1934年:三段甲板+島型艦橋)
赤城(改装後)
航空母艦「赤城」(1941年:大改装完了後)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
赤城
第2号(2013.02.19)
航空母艦「赤城」1942年

スペックデータ(「赤城」竣工時)
排水量:(公)34,364t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×11基
   ロ号艦本式罐・石炭重油混焼×8基
燃料搭載量:石炭 2100t
        重油 3900t
全長:(水)249.0m
全幅:(船体)29.0m 主機:技本式オールギヤードタービン×8基、4軸推進
吃水:8.07m
出力:131,200hp
武装:
50口径20cm連装砲2基、50口径20cm単装砲6基、
45口径12cm連装高角砲6基、
航空機60機(艦戦16、艦攻28、艦偵16)
最大速力:31.0kt
航続距離:14ktで8000浬
乗員定数:1,297名 飛行甲板:190.2×30.5m(上部甲板)、昇降機 2基
スペックデータ(「赤城」最終改装(昭和13年)後)
排水量:(公)41,300t ボイラー:ロ号艦本式罐・重油専焼×19基 燃料搭載量:重油 5770t
全長:(水)250.36m
全幅:(船体)31.32m 主機:技本式オールギヤードタービン×8基、4軸推進
吃水:8.71m
出力:131,200hp
武装:
50口径20cm単装砲6基、45口径12cm連装高角砲6基、
25mm連装機銃14基、
航空機66機(艦戦12、艦攻35、艦爆19)+補用25機
最大速力:31.2kt
航続距離:16ktで8200浬
乗員定数:約2,000名 飛行甲板:249.2×30.5m、昇降機 3基

同型艦名(2隻)
天城(2代)"Amagi(2)"赤城(2代)"Akagi(2)"

天城(2代)型航空母艦について
 八八艦隊計画の巡洋戦艦として起工された「天城」型であったが、ワシントン海軍条約の締結により戦艦の建造に制限が設けられ、戦艦としては完成する事ができなくなってしまった。しかし条約では未完成の戦艦を航空母艦に改造することが認められていたため日本海軍は「天城」と「赤城」を空母に改造して完成させることにした。
 空母という艦種ができたばかりの時代であったため、どのような形状の空母を建造するかを検討した結果、三段式飛行甲板という特異な形をした案が採用された。これは発艦と着艦を同時に行うために考案されたもので、最上段を全長190メートルの着艦専用とし二段目を全長15メートルの戦闘機発艦用、最下段を全長55メートルの攻撃機発艦用とした物であった。また艦橋は「鳳翔」の運用実績から甲板上の艦橋は航空機運用に邪魔であるとして、最上段の飛行甲板の下につり下げる形で配置された。また煙突は舷側から大きく下に向かって湾曲したものを装備し航空機の運用に支障がないように考慮されている。そして巡洋戦艦時の名残として20センチ砲(戦艦時の副砲)が搭載され敵艦に対しての防御用とされた。
 だが、実際に運用してみると三段式飛行甲板は使い物にならず、全通式の飛行甲板が良いとされたために「赤城」は後に改装工事が行われ、二段目三段目の甲板部分は航空機の格納庫にされ搭載機数が大幅に増やされている。
 「天城」は建造途中に関東大震災がおこり、造船所ドック内で損傷したために建造を中止。後に解体されている。

航空母艦 天城(2代)級の歴史
「天城」(2代)「天城」=静岡県伊豆半島の中央にそびえる火山群の総称天城山から取った。
最高峰は万三郎岳の1407m。川端康成の「伊豆の踊り子」の舞台として有名。
1920年12月16日巡洋戦艦「天城」として、横須賀工廠にて起工
1922年12月ワシントン海軍条約締結のため建造中止
1923年航空母艦への改造が決定
       9月 1日関東大震災の際、大破
      11月廃棄が決定。解体処分となる
 解体された船体鋼材の一部は、横須賀工廠内の浮き桟橋建造に使用される
(この浮き桟橋はジャパンマリンユナイテッド横浜事業所内に現存している)
「赤城」(2代)「赤城」=群馬県東部にそびえるコニーデ式二重火山である
赤城山から取った。標高1828m。国定忠治の物語で有名。
1920年12月 6日巡洋戦艦「赤城」として、呉工廠にて起工
1922年12月ワシントン海軍条約締結のため建造中止
1923年航空母艦への改造が決定
      11月 9日〜航空母艦への改造工事着手
1925年 4月22日進水
1927年 3月25日竣工
1929年 4月 1日「鳳翔」とともに第一航空戦隊を編成
1931年10月〜着艦制動装置、無電装置、排気装置などの改修を実施
1933年12月〜小型の島型艦橋を取り付ける改修工事を実施(翌年1月完了)
1935年10月24日〜全通式飛行甲板への大改装工事に着手
1938年 8月改装完了により艦隊へ再編入
1939年 1月〜第一航空戦隊旗艦として中国海域へ進出。海南島制圧に参加
1941年 4月第一機動部隊旗艦となる
      12月 8日〜連合艦隊主力部隊に所属し、太平洋戦争に参加。真珠湾攻撃作戦に従事
1942年 1月ラバウル上陸作戦を支援
       2月ポートダーウィン空襲に参加
       3月ジャワ島攻撃を支援
       4月 5日〜セイロン島攻撃作戦に参加
       6月 5日ミッドウェイ海戦にて米軍機の攻撃を受け大破。翌日味方駆逐艦により自沈処分
       9月25日除籍


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