IV号自走砲

10.5cm Self-Peopelled Gun Tank IV-a / 10.5cm Self-Peopelled Howitzer IV-b
10.5cm K18 auf PzSf IV-a / 10.5cm leFH18 auf PzSf IV-b


ドイツ陸軍 1941年

PzSf_4b
完成直後に工場で撮影された自走榴弾砲IV号b型

 支援戦車として開発されたIV号戦車は車 台のサイズが適当に大きかったため車台を流用した色々な派生型が開発された。そのうち大戦初期にクルップ 社にて開発されたのがこのIV号自走砲で、10.5cm K18加濃砲を搭載して対トーチカ破壊を目的にしたa型と 10.5cm leFH18榴弾砲を搭載したb型が開発された。
 1941年初めに対トーチカ破壊車両として開発が開始されたa型はIV号戦車D型の車台を流用しているが、 オープントップ式戦闘室を車体後部に載せるためエンジンは車体中央へ移されている。この方法は後に開発・ 量産化される 対戦車自走砲ホルニッセ自走榴弾砲フンメルなどに踏襲されている。試 作車は同年3月末に完成しているが、5月に「この種の車両は今後出現が予想される敵重戦車に対抗できる対 戦車自走砲として開発を実施すべきである」との検討結果が出たため自走砲から対戦車自走砲へ分類替えされ た。生産開始は42年春とされたが、要求事項の変更(搭載砲の変更など)から量産化されずに終わっている。 なお2両だけ完成した試作車は第521駆逐戦車大隊に配備され東部戦線において多大な戦果を挙げた
 榴弾砲を搭載したb型は41年秋にヒトラーが出した歩兵支援用自走砲開発の促進という指示に端を発して 開発が開始され、最初は同一車体で自走榴弾砲、自走対戦車砲を兼ねる新型車台を開発する予定だったのだが コストを抑えるためにIV号戦車の車台部品を流用することに変更され開発が継続した。IV号戦車車台を切りつ めた形状(転輪は8個から6個へ減少した)の車台にオープントップ式限定旋回式(左右各70度までの旋回 が可能)砲塔を搭載した。試作車は42年11月に完成したが、この種の軽榴弾砲を搭載した自走砲車台には II号戦車がベストであるとして採用は見送 られ、全周旋回式砲塔や着脱式火砲などの要求を盛り込んだ ホイシュレッケへ開発は移っていった。

スペックデータ(自走榴弾砲IV号a型/b型)
全長7.52m/5.9m全高3.25m/2.25m
全幅2.84m/2.87m重量25.0トン/17.0トン
最高速度40km/h/45km/h行動距離200km/250km
発動機マイバッハHL120TRM 水冷V型12気筒ガソリンエンジン 300馬力×1基(a型)
マイバッハHL66P 水冷直列6気筒ガソリンエンジン 180馬力×1基(b型)
乗員数4名総生産数a型2両+b型8両
武装K18 10.5cm加濃砲×1、MG34 7.92mm機銃×1(a型)/leFH18 10.5cm榴弾砲×1(b型)
最大装甲厚(上面)なし〜(前面)30mm(a型)/(上面)なし〜(前面)20mm(b型)
派生改良型 PzSf IV-a:10.5cm加濃砲を搭載した対戦車自走砲。試作2両のみ
PzSf IV-b:10.5cm榴弾砲を搭載した自走榴弾砲。試作8両のみ