駆逐戦車ヘッツアー

Tank Destroyer 38(t)
Jägdpanzer 38(t) "Hetzer"


ドイツ陸軍 1944年

Hetzer
駆逐戦車ヘッツアー(後期生産型)

下記写真はデアゴスティーニ社発行「隔週刊 コンバット・タンク・コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
ヘッツアー
第54号(2014.07.08)
「ヘッツアー」1945年


 1943年初頭にドイツ軍機甲兵総監であるハインツ・グデーリアン上級大将は、現有の軽対戦車自走砲や牽引式対戦車砲の代替として低い姿勢で完全掩蔽式の軽駆逐戦車の開発を要求していた。また同年11月に行われた連合軍の爆撃によりIII号突撃砲を生産していたアルケット社の工場が大打撃を受けIII号突撃砲の生産が一時ストップしてしまった。このことからIV号戦車の車台を利用した突撃砲の生産が急遽開始されたほかBMM社に対して38(t)戦車の車台を利用した突撃砲の開発が命令された(当初はBMM社のラインでIII号突撃砲G型の生産を考えたのだが軽戦車しか製造していないBMM社では中戦車クラスの量産は不可能だった)。
 BMM社では早速開発に着手し、同年12月には設計を完成させ翌年1月に木製実物大模型を披露するというスピード開発が行われた。当時開発中だったIV号駆逐戦車と同様の傾斜装甲板で覆われた戦闘室にやはりIV号駆逐戦車と同じPak39対戦車砲を搭載した軽駆逐戦車は38(t)戦車と約8割の部品が共通化されていたが車台自体は大型砲搭載のため幅が広げられた新設計のものであった。
 試作車の性能に満足したヒトラーは「38(t)戦車の製造ラインは全てこの駆逐戦車用に転換せよ」との命令を出し、1944年4月から量産体制に入った。製造開始時点では軽駆逐戦車38(t)と呼ばれていた当戦車であるが同年12月にヒトラーは『ヘッツアー』(Hetzer:扇動者・勢子の意)の名を与えている。戦車駆逐大隊に順次配備された当戦車は各戦線で活躍したが、実戦では戦闘室が狭いため砲の操作に支障があったり砲の射界が狭いなどの問題点も出ている。
 余談ではあるが大戦が終了した後再建されたチェコスロバキア陸軍では、ヘッツアーを主力戦車として使用しており、またチェコスロバキアからスイスへも輸出されG13型の名称でスイス陸軍にも使用されている。

スペックデータ(ヘッツアー)
全長 6.38m全高 2.17m
全幅 2.63m重量15.75トン
最高速度42km/h行動距離177km
発動機プラガAC/2 水冷直列6気筒ガソリンエンジン 160馬力×1基
乗員数4名総生産数2,584両
武装PaK39 7.5cm対戦車砲×1、MG34 or 42 7.92mm機銃×1
最大装甲厚(上面)8mm〜(前面)60mm
派生改良型 PzJäg 38(t):制式名称はHetzer。車体上部設置の機銃は車内から遠隔操作した
Flamm Pz 38(t):Hetzerの主砲を火炎放射器に置き換えた火炎放射戦車
Pz Berge 38(t):Hetzerを改装した戦車回収車。主砲は撤去されている
sIG33 auf Hetzer:sIG33 15cm歩兵砲を搭載した自走砲。Hetzerと共通化した車台を利用。ごく少数
PzJag 38(t) Starr:Hetzerをベースにした固定砲架式駆逐戦車。試作のみ