広廠 九五式陸上攻撃機

海軍:昭和8年〜11年

済洲島の悲劇

九五陸攻
九五式陸上攻撃機

 軍縮条約により主力艦艇の保有数を制限されてしまった日本海軍では、米英との戦力差を陸上基地 発進の長距離爆撃(雷撃)機で補うこととして、大型陸上攻撃機の開発に着手した。
 そこで、全金属製大型機の製作に造詣の深かった広海軍工廠が設計を担当し、試作1号機が昭和 8年(1933年)に完成した。完成した機体は当時日本海軍が保有する航空機の中で最大であり、 昭和11年に九五式陸上攻撃機として制式採用された。  しかし、所要の性能は示したものの大型機のため取り扱いが難しく、同時期に採用された 九六式陸上攻撃機が優秀であったため、 少数機が生産されただけで生産中止となってしまった。
 昭和12年には実戦部隊に配備された機体のうち1機は墜落事故で、また5機が済洲島での爆発 事故で地上にて失われており、十分に活躍する間もなく第一線から消えていったのである。

機体詳細データ(九五式陸上攻撃機[G2H1])
全長20.15m全高 6.28m
全幅31.68m翼面積140.00m2
自重7,567kg最大重量11,000kg
最高速度245km/h上昇限度5,130m
航続距離2,900kmプロペラ可変ピッチ4翅
発動機広「九四式」九百馬力発動機一型水冷W型18気筒 公称960馬力×2基
乗員数 7名総生産機数 8機
武装7.7ミリ機銃×4、航空魚雷×1または爆弾最大1,000kg
主要タイプ 九五陸攻(G2H1):生産機少数のため派生・改良型は無し