中島 三式艦上戦闘機

海軍:昭和2年初飛行、昭和4年制式採用、昭和7年生産終了

三式艦戦
館山空所属の三式二号艦上戦闘機

 大正15年(1926年)に海軍は一〇式艦上戦闘機の後継機開発試作を中島・三菱・愛知の三社に対して指示を出した。そこで中島は英グロスター社のゲームコック戦闘機の艦上機改造型(海軍呼称「G式」)を、三菱は自社製の一〇式艦戦の改良型(海軍呼称「M式」)を、愛知は独ハインケル社試作機(海軍呼称「H式」)を提出した。
 各社とも海軍の要求性能を満たした機体であったが、三菱・愛知の両社が提出した機体には海軍が要求したとおり不時着水対策が施されていたのに、中島機にはこの対策が施されておらず、そのため重量が軽減され他機よりも軽快な運動性を持っていた。
 この軽快な運動性に目を付けた海軍は昭和3年に中島機の採用を内定、仮称三式艦上戦闘機の名称で実験機に指定、翌年には制式採用に至ったのだが、要求されていた不時着水対策を施していなかったため、この採用には三菱・愛知両社から不満が出た。
 曲芸飛行にも使用されるゲームコック戦闘機の直系である当機の運動性は抜群で、射撃時の安定性も良く上海事変では日本海軍艦上機初の敵機撃墜(当機と一三式艦攻の共同)を挙げるなど活躍している。
 昭和5年末から昭和10年にかけて日本海軍の主力艦戦として使用されたが、後継機の採用・配備に伴い、順次第一線を退き練習戦闘機として使用されるようになったほか、一部の機体は非武装化のうえ民間に払い下げられ、気象観測機や高等練習機などに使用されたという。

機体詳細データ(三式二号艦上戦闘機[A1N2])
全長 8.50m全高 3.30m
全幅 9.70m翼面積26.30m2
自重 885kg最大重量1,375kg
最高速度241km/h上昇限度7,000m
航続時間3.0hプロペラ可変ピッチ2翅
発動機中島「ジュピター」七型空冷星形9気筒 公称450馬力×1基
乗員数 1名総生産機数約100機
武装7.7ミリ機銃×2
主要タイプ 一号(A1N1):「ジュピター」六型(公称420馬力)発動機搭載の初期型
二号(A1N2):「ジュピター」七型(公称450馬力)発動機搭載。軽量化、金属製ペラ採用